NHKの大河ドラマ「べらぼう」で、注目されている蔦屋重三郎ですが、亡くなったのは寛政9年(1797年)の5月、47年の生涯でした。
死因は、脚気と伝わっています。
今回は、江戸煩(えどわずらい)とも言われた脚気のお話です。
脚気はチアミンの欠乏により生じる病気で、壊血病とならんでビタミン発見の端緒となった疾患の一つです。
チアミンは、ビタミンB群の中では最初に同定されたので、ビタミンB1と呼ばれています。
また、チアミンはピルビン酸、ケト酸、アミノ酸などの脱炭酸反応で働き、エネルギー産生に必須なビタミンです。
脚気発症の機序としては、チアミンの摂取量不足、吸収障害、利用障害、必要量の増大があります。
摂取量の不足には、絶対量の不足と相対的な不足があります。
糖質の代謝には、チアミンが必要なため、糖質を過剰摂取するとチアミンが大量に消費され、相対的な不足を起こすのです。
吸収障害は下痢などの消化器疾患で、利用障害は肝硬変などの肝疾患で生じます。
甲状腺機能亢進や発熱、激しい運動や肉体労働などの代謝亢進状態では、チアミンの消費量が増大し、不足を来しやすくなります。
また、アルコールの過飲は、チアミンの吸収と利用(チアミンピロリン酸の合成)の両者を阻害することが知られています。
脚気は、夏に多くみられました。
暑さで食欲も落ちますし、食中毒なども起きやすいですね。
初期症状としては、全身や下肢の倦怠感、食欲不振があります。
さらに進むと、下肢のしびれや知覚異常、運動麻痺が加わり、寝たきりとなります。
循環器症状としては、運動時の動機や息切れ、安静時のだるさや、下肢のむくみなどが生じます。
進行すると心不全になり、最後には脚気衝心と呼ばれるショック状態となって死亡します。
ところで、脚気の英語はberiberiですね。
この病気は欧米にはほとんどないため、スリランカのシンハラ語で虚弱を表す言葉を、二つ重ねて病名にしたですよ。
日本では、蔦重が生まれる少し前、八代将軍吉宗の時代(きょうほ年間:1716~36)に江戸で大流行しました。
当時、江戸煩(えどわずらい)と呼ばれる奇病でした。
地方の武士が参勤交代で江戸でくらすとこの病気なり、故郷に帰ると自然と治ってしまうことから、こんな病名がついたんですね。
さて、チアミンを多く含む食品は、酵母、臓物、豚肉、豆類、牛肉、全粒の穀類(玄米など)、ナッツ類です。
脱穀して精白した白米では、チアミンはわずかにしか含まれていません。
江戸時代、白米はぜいたく品です。
毎日食べていたのは、ほぼ江戸の住民に限られていましたので、江戸煩と云うことになりました。
一方、紅茶、コーヒー、生魚、甲殻類はチアミンを壊すチアナーゼを含んでいます。
これらを過剰に摂取すると、チアミンが不足する可能性もあるんですよ。
先週の放送でも。蔦重は白米のおむすびをほおばっていましたよねえ。
晩年には、酒量も増えたのでしょうか。
江戸で生まれた握りずしは、白米の酢飯に生魚ですから、確実にチアミンを減らします。
時代は下りますが、品行方正でお茶とお菓子を好んだと言われる、14代将軍徳川家茂は、21歳の若さで衝心脚気で亡くなりました。
後を継いだ最後の将軍徳川慶喜は、若い頃から豚肉を好み、「豚公方」とあだ名されていました。
慶喜のが亡くなったのは76歳の時です。
長生きの秘訣は、豚肉によるチアミン(ビタミンB1)の摂取だったのかもしれません。