岸田政権も、いよいよ末期的状況になってきました。

 

 

日増しに強くなるのは、次期総理(次期自民党総裁)は誰か、という話題ですね。

 

名前があがっているのは、以下の方々です。

 

石破茂、小泉進次郎、上川陽子、河野太郎、茂木敏充、高市早苗、野田聖子、林芳正の8人ですねぇ。

 

 

この内、何人が世襲議員か、ご存じですか。

 

実に5人が世襲議員なんです。

 

首相の岸田文雄もれっきとした世襲議員ですから、首相を含めて9人中の6人、66%が世襲議員なんですよ。

 

世襲でないのは、上川陽子、茂木敏充、高市早苗の3氏だけなんですね。

 

 

どうして、こんなに首相や候補者に世襲議員が増えたのか、キツツキ政治評論家の嘘月飛夫先生に聞いてみましょう。

 

嘘月飛夫

 

まずは、歴史じゃ。

 

過去を振り返ってみよう。

 

戦後の昭和から平成にかけて、どんな人物が首相になったか、覚えているかな。

 

平成元年(1989年)に首相だったのは、竹下登じゃ。

 

中曾根康弘首相の後を継ぎ、ジャパン アズ ナンバーワンと云われたバブル絶頂期に首相になり、長期安定政権かと思われていたんじゃ。

 

ところが、好事魔多し。

 

リクルート事件でつまずき、短期政権で終わってしまった。

 

次は、宇野宗佑、そして海部俊樹だったなー。

 

この時期にバブルが崩壊したんだが、二人とも印象が薄い首相じゃった。

 

経済立て直しということで、経済通と云われた宮沢喜一が首相になるが、優柔不断でうまくいかない。

 

結果として、自民党は政権を失い、日本新党の細川護熙が首相となる。

 

政権交代の主導者だった小沢一郎の大失敗によって、細川・羽田孜の非自民連立政権は短命に終わってしまった。

 

この羽田孜が、世襲政治家で首相になった最初の人物じゃ。

 

連立から社会党を排除するという小沢のミスをついて、村山富市を首相とする、自社さ連立政権が発足する。

 

村山退陣後に自社さ政権の首相となったのが橋本龍太郎じゃ。

 

1996年の衆議院選挙で勝った自民党は、社会党・さきがけとたもとを分かち、単独政権に戻ることになる。

 

この橋本が、2人目の世襲議員出身の総理大臣じゃ。

 

橋本の次の、小渕恵三も世襲議員じゃった。

 

小渕の急病を受けて、どさくさに紛れて首相になったのが、森喜朗だった。

 

森の後が小泉純一郎で、これまた世襲議員。

 

次の、安倍晋三も世襲議員。

 

その次の、福田康夫も世襲議員。

 

そのまた次ぎの、麻生太郎も世襲議員。

 

政権交代した民社国連立政権の鳩山由紀夫も世襲議員。

 

民国連立政権の菅直人と野田佳彦は、さすがに世襲議員ではなかった。

 

しかし、再び自民政権となった安倍晋三は、世襲議員じゃろう。

 

後継の菅義偉は世襲ではないが、現首相の岸田文雄は、世襲議員というわけじゃ。

 

平成以降の総理大臣、19人中の9人が世襲じゃーにゃー。

 

羽田以降の14人では、世襲でなかった総理大臣は5人しかいない。

 

少し古いが、新憲法制定から平成までの首相を振り返ってみよう。

 

順にあげていくと、片山哲、芦田均、吉田茂、鳩山一郎、石橋湛山、岸伸介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康夫の14名じゃ。

 

これら14名中、世襲議員は1人もおらん。

 

戦後昭和期と平成以降の内閣総理大臣。

 

まあ、この顔ぶれをみても平成以降の失われた30年間は、当然の結果かもしれんな。

 

なぜ、世襲議員がこんなに増えたのかは、別の機会にじっくり教えてやる。

 

まあ、次の総裁選挙では、あんぽんたんの世襲議員ではなく、確固たる信念をもって国会議員になった政治家に首相になってもらいたいもんじゃ。