(旧制高校生のイメージ)
時空記者猫のタマが、茨城県水戸市より報告します。
昨晩、水戸市泉町二丁目の青木新地で、恋仲の芸妓を前に、水高生がピストル自殺を図りました。
(こちらは旧制松本高校の学生)
旧制水戸高等学校三年文二の学生某(東京市四谷区花園町37)20歳は、昨夜十時頃、青木新地の待合「喜代清」に登楼し、信願寺町芸妓屋「時の家」の養女豆千代こと小島千代18歳と遊興中、突然隠し持った拳銃を自らの喉に向けて発砲しました。
同席した豆千代や女将らは仰天し、朱に染まって倒れた某を直ちに常磐病院に担ぎ込みました。
応急手当の結果、生命は取止める見込みです。
(待合のイメージ)
水高生と豆千代は、久しい馴染みで双方憎からぬ仲らしく、貴代清へは初めて登楼したもようです。
自殺の原因は遊興費に借財がかさんだのと、豆千代との恋の成就が覚束ないことから、女の目の前で決行に及んだとも、狂言からの怪我とも伝えられています。
以上、タマが(茨城新聞、大正12年4月24日付け)を元に報告しました。
後日譚
昭和六年の観梅に、大工町花柳界が全面協力した新聞記事があります。(茨城新聞、昭和6年3月1日付け)
水戸の春は梅から、今日は第一観梅デー、梅花祭や新曲舞踊の新傾向がお披露目された。
(これは京都の先斗町です)
常盤公園余興場に出演の芸妓は以下のごとし。
演目、水戸音頭、磯節。
立方、寿ヾ子、秀治、豆千代、以下略。
と、有りますので昭和に入っても豆千代は芸妓として活躍していたようです。
(豆千代姐さんのイメージ)
一方、自殺を試みた水高生某の、その後の消息については不明です。
解説
青木新地、現在の泉町2丁目、京成のパーキングビルからトヨペット、その周辺の駐車場あたりにあった花街です。
明治15年ごろにできた大工町花街に遅れ、明治末に料理屋、待合、芸妓屋、寄席ができ水戸市内3番目の花街として成立しました。
最盛期には2万坪ほどの広さがあったそうです。