さて、皆さん「ニワトリが先か卵が先か」。

 

ご存じですか?

 

今回は、この問題についてのお話しです。

 

まずは、ニワトリ(鶏)について調べてみましょう。

 

鶏の祖先は、東南アジアの密林に生息していたセキショクヤケイです。

 

東南アジアから中国南部において家畜化されました。。

 

家畜化された時期は、ヒツジ・ヤギ・ブタと同じ紀元前八千年ごろとする説と、ウシより遅れてウマと同程度の紀元前四千年ごろとする説があります。

 

家畜化された当初は、その美しい声や朝一番に鳴く声を求めた、祭祀用あるいは闘鶏用だったと、考えられています。

 

その後、鶏は北に向かって中国など東アジアへ伝わりました。

 

西に向かってはインダス文明に伝わり、ここから西アジア・エジプトを経て、ギリシャ・ヨーロッパえと広まったのです。

 

日本には、弥生時代(紀元前2世紀)に中国大陸から伝来したと伝わっています。

 

弥生時代の鶏はチャボ程度の小型で、食用ではなく鳴き声で朝の到来を告げる「時告げ鳥」として利用されていました。

 

有名な伝説として、天照大神が天岩戸にお隠れになった時、神々が常世長鳴鶏を集めて鳴かせたと、古事記や日本書紀に記されています。

 

 

仏教伝来後の天武4年(西暦675年)には、天武天皇より肉食禁止令がだされ、ウシ・ウマ・イヌ・サル・ニワトリを食べることが禁じられています。

 

数は少ないのですが、狩猟でとった野鳥や鹿、猪、ウサギなどの肉は食べられていました。

 

殺生禁断の詔勅は奈良時代に聖武天皇からも出され、この時には鶏の肉だけでなく卵も禁じられました。

 

以後、鶏は食用ではなく時告げ鶏や闘鶏用に飼育される時代が長く続きます。

 

戦国時代になるとポルトガル人により、カステラやボーロなど鶏卵を用いた南蛮菓子が伝わりました。

 

また、この時代に無精卵が孵化しないことが知られると、鶏卵を食べても殺生に当たらないとされ、採卵用として鶏が飼われるようになりました。

 

 

軍鶏や烏骨鶏なども、南蛮貿易の朱印船によって我が国にもたらされたものです。

 

江戸時代も半ばになると尚武の気風も薄れて、武士が鷹狩りなどの狩猟をすることが廃れ、野鳥の代わりに鶏肉が食べられるようになります。

 

しかし主に食べられていたのは鶏卵で、1785年には「万宝料理秘密箱」という鶏卵の料理書が出版されています。

 

鶏肉の食べ方については記録が少なく不明な点が多いのですが、佐賀藩の記録や長崎に留学した蘭学者の記述では、長崎地方では水煮(現在の水炊き)として食べられていたようです。

 

江戸時代では、鶏肉よりも鶏卵が多く食べられていたことが分かりますね。

 

明治期になると食生活の変化が進み、鶏卵および鶏肉の利用が急拡大していきます。

 

この時代までは、世界的にも鶏卵の利用が主目的で、鶏肉としては卵を産まなくなった廃鶏が用いられていました。

 

食肉専用の鶏(ブロイラー)が飼育されるようになったのは、20世紀になってからのことです。

 

ブロイラーの産業としての飼育は、1923年にアメリカで始まりました。

 

第二次世界大戦が始まると、男手が兵隊にとられウシやブタの飼育が困難となり、これを補うため人でのかからないブロイラーの生産は急激に増加します。

 

同時に、短期間で急速に成長するブロイラー専用の鶏も開発されました。

 

日本でのブロイラーの大量生産は、朝鮮戦争後の1950年代以降、朝鮮半島に向けた米軍の補給拠点であった北九州地方で始まり、全国に広まっていったのです。

 

 

以上で、お分かりでしょう。

 

卵が先か、鶏が先かの答えは、卵です。

 

補足

 

鳥インフルエンザによる殺処分と輸入飼料の高騰により、卵の値段が高止まりしています。

 

そんな現状をみて、日本における卵と鶏肉の話を複製して採録しました。