(蚊遣り豚、昔はどこの家にもあったものです)

 

最近は目にする機会が少なくなりましたが、蚊遣り豚は夏の風物詩の一つでした。

 

昭和生まれの皆さんは、「金鳥の夏、日本の夏」という、蚊取り線香のコマーシャルを、きっと覚えていると思います。

 

夏祭りに、浴衣姿。 そして、花火。

 

(金鳥の夏、日本の夏。美空ひばりが若いですね)

 

このコマーシャルは、美空ひばりを起用して、昭和43年(1968年)からスタートしたものです。

 

この当時は、エアコンは全く普及しておらず、蚊取り線香は夏の必需品でした。

 

さて、この蚊遣り豚ですが、蚊取り線香を入れるために作られた、と思ってる人が多いのではないでしょうか。

 

浮世絵にも、蚊遣り豚を燻らせて夕涼みをする女性を、描いたものがあります。

 

(蚊遣り豚の描かれた浮世絵)

 

金鳥のコマーシャル・イメージの、元になったものですね。

 

このため、蚊取り線香も江戸時代からあった、と思っていませんか。

 

それは、誤りです。

 

最初の蚊取り線香ができたのは、明治23年のことでした。

 

蚊取り線香は、発売当初、仏壇線香の様な棒状で、現在のような渦巻き状の蚊取り線香が発売されるのは、明治35年のことです。

 

(キンチョーの蚊取り線香)

 

そもそも、江戸時代には蚊取り線香の原料となる除虫菊は、日本には存在していなかったのです。

 

除虫菊は、金鳥蚊取り線香を発売している、大日本除虫菊株式会社の創業者、上田栄一郎が、アメリカの植物輸入業者社長、H.E.アモアに日本のミカンの苗を紹介したお礼として、譲られたものでした。

 

除虫菊の原産地は、ユーゴスラビアで、花の部分にピトレニンという殺虫成分が含まれています。

 

(除虫菊はこんな花です)

 

欧米では、花を収穫し、乾燥させて粉末にし、ノミ取り粉として使われていました。

 

伝統的に我が国で行われてきた蚊遣りに、除虫菊の粉が使えないか、と栄一郎は考えたのです。

 

この考えは、大成功でした。

 

除虫菊を燃やした煙に、蚊がボタボタと落ちていったのです。

 

こうして、蚊取り線香はできあがり、蚊遣り豚は改良されて、蚊取り線香専用となったのです。

 

 

そのそも、蚊遣りとは、蚊やブユなどの害虫を追い払うために煙をいぶらせることです。

 

屋内での蚊遣りには、囲炉裏や火桶によもぎの葉や松や杉の青葉をくべたのです。

 

屋外では、壺が用いられました。

 

壺を横にした形から発展して、豚の蚊遣り器ができあがったのです。

 

豚の形になったのは、豚は毛深くて蚊に刺されにくいため、という説もあります。