ペンギンGOのブログ

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プライベート、仕事や趣味などの話を気力がある時に気力が続くまで書く日記。

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2カ月にわたる新入社員研修も本日で終了になります。 
 
与えられた課題は既存システムへの機能追加で、5つのチームで競わせたのですが、結果は1チーム完了で他は未達成でした。

 
メンバーは実は去年の段階で私が基礎知識を付けてもらうために関わっていたし、「人事の総力戦」と打ち合わせていたので力が入り、ヒヤヒヤと落胆の毎日でありました。現役がメイン講師でしたが、私も補助として参加して、「そもそも」や「考え方」などのトンネルの先を示すことをしていました。
世に言う「うるさい」と思うことも言っていたので、まあ嫌われ役だと思ってたち振る舞っていました。
 
 
この2カ月間、私は「人事」という所属はあれど、総務も兼任しているので(噂では現役システム部隊からも狙われているとか)、早朝や残業で総務の仕事を行い、昼間は研修室や会議室に籠もりの仕事。昼食もほぼ一緒。

時々戻ると総務の仕事が山積みで、その場で腰くだけになったこともありました。打ち合わせも盛り沢山。

さて、昨日は社長も御出席頂き、新入社員達の「成果発表会」がありました。
もう眠くて眠くて、写真撮影したりしていたのですが、最後の社長の「総評」の中で、

「人事、よく頑張った。(俺さん)よく頑張った。今の皆さんは多くの人の支えがあるからこそで感謝しなさい」

と名指しで褒められました。

昔から思うのですが、「見ている人は見ている」というのを改めて感じ、涙が出そうになりました。苦労が報われた。

まあ、感謝の言葉を平然とお話しする方は、やはり器が違うと思うのです。

さて、今日も早出勤。おまけに月末処理。
節目としての最後の一日ですが、最後まで新入社員達に、自分の培ってきたものをお渡しできればと思います。

飲み会も気をつけようw
私は、「人に伝える」ということを主な仕事としています。

その昔、インターネットの黎明期に現在は閉鎖しましたが、バイクのホームページを運営していました。


黎明期だから、使っている人はごくわずかな中で、50万以上のアクセスを記録し、「雑誌にアドレスと簡単な紹介文を書いて良いか」と言われるほどのアクセス数でした。
オランダから拙い英語で「こちらにはこんな部品はないから…困っているんだ」と言うメールが届き、こちらも拙い英語で「送ってあげるよ」と部品を送ってあげたら大喜びのメールと、御礼のサークルで作ったワッペンを頂いたのは、とても良い思い出です。


何故そんなアクセス数を記録したのか、と言うと、利用者やその他の方々から伺えたのは、「掲示板を使っていて、居心地が良いから」ということをよく言われました。

ネットの世界には色々な考えの方々がいます。

そして伝え方がうまい人、下手な人が当然出てきます。そうすると誤解などが自然発生し、衝突が始まります。

私はケンカはしてほしくないので、間に入り
「あの人は多分こういうことを言いたいのでは」
とか
「もう少しソフトに」
とか、相互仲良くするようにしていました。
それがきっと人気の要因だったのかと思います。
最後の方は、まだまだ普及してなかった「チャット」を探してくれと要望が入るくらいで、探し出して設置したら、常時満員でした。

さて、仕事の話も少し混ぜます。あくまでここからは個人的な考えです。


よく、「言葉は言霊」と世間では言われていますが、それは正しいものだと思いますが、この世の中、それより先の事が必要です。


なぜか。
それは今は言葉や文字が一人歩きを始めるからです。これだけネットが普及すると、世界に拡散され、誰かにどこかで勝手に肉付けや返って削ぎ落とされ、それが拡散されかねない世の中になっています。それも永久保存される可能性があります。


つまり、本来の自分の言いたいことがぼやけた形で全世界に広がる可能性があることを強く認識しなければなりません。


そして文字。
これは紙書籍時代からもそうですが、読者の感情や想像に任される部分が多数を占めます。
だから、今日でも批評が賑わい、良悪が生まれています。それがネットの中でも。


だから、文字にも配慮しなければならないと思います。誤解が生まれないよう、自分の気持ちが出来るだけ正確に伝わるように。


私は冒頭に「人に伝えること」を主な生業としていますので、これを意識しています。力及ばず、うまく出来なかった事も多々あります。


でも時間や日数が限られており、特に気をつけています。


テキストにも技術的なものを書くことがあるのですが、相手に伝えている際に言葉や、書いたものにもっと良いことがあれば、その場でゼロから作り直すことも言葉も言い換えることもあります。

日々更新です。


情報が豊かな時代になりました。


それはとても良いことだと思いますが、心配なのは、情報の広がる速さや使い方がみんなの理解に追いついていない点が多々あることを見つめています。
これは今も情報を探しながら、自分も今日も探していて自分自身も感じています。薬にも毒にもなるな、と。


「言葉は言霊」
それは当たり前のことで、その先をもっと自分も含めて見つめて、配慮していくべきだと思っています。

長文、駄文失礼致しました。












実は私には兄がおりまして、国内にはいるのですが、会えるのだけど、微妙な会えない距離に、家族を残し単身で「ある所」にいます。

あ、前置き長いので、読み飛ばしてください。

 
そんな兄とネット「でも」繋がっており、お互いの様子を普段は静観しながら、突っ込みどころがあるとワイワイとチャットみたいに文字で会話をします。


とある時、兄がネット上で様子がおかしく、このままだとまずい!と思ったので、真剣に割って入って少しずつ解していたら、元に戻りました。


「親父が入院したぞ」と。

大したことはないようで、すぐ退院するとのこと。あ、まあまたこの辺は別のネタで口笛


そこで思いつきました。

(ひとまず、ひとまずは車で帰れる距離だから帰ろう。母も元々寂しがり屋。その母に会うだけでもいいかな)

と。

さて、まずは妻子に相談。
妻は私が今の年収の3倍にされてもやりたくないくらいの多忙な仕事量(といってもほぼ定時に上がらせるように段取りしてます)に、



「休んだら?」と心配はしてくれたのですが、上記のような説明をしたら、理解してくれました。



次に母に電話。「いいよ、大丈夫」とは言ってくれたものの、結局母もOK。



よし!あとは動くのみ。
ちょうど車を車屋に入庫させる用事があったので、それが終わってから移動開始!
妻子は妻方のご実家に預け、私1人で自分の実家へと向かいました。

さあ、ここからが本題w


機械物って、時々動かさないとダメになりますし、ムチ入れないといけない時もあります。

それは何故かというと、油脂類、ゴムパーツ、金属類やバッテリーが劣化してしまうのです。あ、ガソリンも。

これを世に言う「腐る」と言います。腐ると大変面倒、お金もかかります。

だから、クラシックカーやバイクなどを時々走らせている画像や動画がありますが、腐らせないように時々動かしている、という意味が含まれています。

あ、脱線したw


途中で首都高を使います。

(んー、1人で首都高久しぶりだな。普段街乗りで鈍っているし、少し叩くか)と。

まあまずは高速は回し気味にする時があるから、エンジン含め、駆動系は大丈夫。

首都高はクネクネしているので、次に足回りに鞭入れました。限界の二歩手前で。

まずは渋滞。
当然小さい車なので、煽られます。
(まあまあ、ゆっくりいきましょー)と放置。

しかし!視界が開けた瞬間に加速開始、カーブウネウネに行きます。はい、いくよー?

はい、速度適当に下げてー、曲げるぞ…


ズバッ!と頭が入ります。よし!

カーブ中は出来るだけハンドル動かさない範囲で、足回りから伝わってくる感触を察知しながら出来る限りで曲げて行きます。

ここで思わずニヤついたw

お前、素直じゃんw
ボディーもまだ捻るような感覚が入ってこないし、きれいにカーブに沿って曲がって行きます。

カーブの終点が見えたら、加速していきます。タイヤも砕けないので、エイヤ!と加速するとついてくるw

なんじゃこれw気持ちいい。

そして、また渋滞。
当然、前な煽ってきた車が追いついてくるのですが、相手の車間距離が離れてくれていましたw

また前方が開けるとさっきのを繰り返すのですが、後ろは誰もいなく、前も煽っているわけではないのに、避けてくれます。

そしたら、最後に1000万超え外車スポーツカーに追いつきました。うちの車、車単体40万。諸費用コミコミ60万。エンジンも1300着4。

ん、こいつはペースカーに使おうと、付かず離れずで走っていたら、最後の降りる料金所で急ブレーキかまされましたw

ごめんなさい。

そして下道はのんびりと。実家に帰ってきました。今日で父も退院だそうなので、行ってきまーす。

長文、失礼致しました。
妻の考え方は置いておいて、自分の子供への接し方を残しておきたいと思います。

なお、「今の所」なだけで、変化するかもしれません。

大前提なのは、「人」として見ること。

子供でありますが、一人の「人」として接してあげることです。

そうすると、自ずと次が出てきます。


それは「ダメ」を原則禁止にすることです。
「ダメ」という言葉はとても便利な言葉ですが、それは「シャットダウン」にもなります。

子供は子供で考えがあります。それにまずは耳を傾けることだと思います。

その上で、長い経験を積んだ人間としての「案」を提示します。

この「案」はひょっとしたら古いものかもしれません。だから、ひとつの案に留めます。

選択肢を与えて、考えさせる。考えた上で選択した道を進み始めたら、足元を、その先を照らしてあげると同時に後ろから支えます。

失敗したら次を考えます。一緒にね。

もちろん、「人」の中で絶対にダメ!なことはダメ!と伝えます。

誰でもそうでしょうけど、いつも怒っている人は(あー、また怒っているよ)の高止まりで認識されてしまい、それが常になってしまいます。

そうすると、相手は何が本当に怒っているのかわからなくなってしまいますよね。

だから、一発怒ることをある意味(やべー、普段怒らない人が怒っているから、これは言うこと聞いた方がいいや)と思わせたら、より良くなるのではないでしょうか。
怒ること自体、怒っている人も疲れますし。

まあ、親バカで申し訳ないのですが、我が子は幸い怒ることがほとんどないので助かっています。

ちなみに、上記のことを私は意識して我が子に接していません。
ただ文章化するとこんな感じ?なだけです。

さあて、今日は何して遊ぼうかw

前に自分の仕事をしてきた道を振り返っていたけど、やめました。うるさいからw

でも、社会人になって「お勉強」なんか大嫌いだし、受けたことも取り組んだこともないです。

今もだけど、調べることは当たり前、とくにインターネットが普及していなかった時代は、大量の技術本を手にしたり、様々な情報ツールで調べまくりでした。

毎日理不尽な要求に悔し涙を流して、砂をかじりながら、泥を被りながら仕事をしてきたし、今もしています。その中に喜びや達成感を見出して今日も前に進んでいます。

情報に溢れ、溢れすぎて何が真実なのか、目的地ははたして正しいのか見極める事が返って難しい時代になってきていますが、深入りはあまりしないようにしているので、私の知識は全て中途半端ですwだって目的は達している場合が多いし、深入りすると泥沼にはまるから。
もちろん、泥沼にはまるときもないときもないし、必要になることはあるけれども、それはその時で良いと思います。

だから、負けないよ!