人を傷つける言葉は、使っちゃダメ?! | こどもの心はミュージカル!

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こどもの心は喜びにあふれ、歌いたくて踊りたくて、ワクワクしているものです!それは『創造力』『表現力』があふれているから。
その力を、ミュージカルをはじめとする全身表現で、大きく膨らませたい!――― それが私の大きな夢。



「ウッザ!」「キモッ」「クッサー」

「死ね」「さわんな」「このクソ」

「ババア」「ガキ」

「ハゲ」「ブス」「チビ」「デブ」…


人を傷つける言葉は山ほどあります。


そんな言葉を聞くと、

言われて傷ついた側の人は、

恐怖にかられたり、

怒りが湧いたり、

だから

我が子には使ってほしくないと

願う大人はたくさんいます。


でも、

それらの言葉が消えずに、

なんならバリエーション豊かに

どの時代にも使われるのは、

言ってほしくないと願う大人以上に、

それを使う人がいるから。


そして、

それらが消えないと言うのは、

そういう言葉を、人は

必要としているからかもしれません。


今日、おしゃべりしていた方から、

息子さんが最近、

口の悪い友だちと仲良くしていて、

その子と遊んだ後は

しばらく口が悪くなり、

その言葉が耳にさわるし、

やめさせたいと話しておられました。


過去にとぶくじらにいた子で、

小さい頃から知っていますが、

ご両親からたくさん愛情を受けて育った、

普段は人を悪く言わない優しい子です。


私は昔、逆に

その優しさを心配していました。


悪口を言わない優しい子は、

嫌なことを言われても、

相手を悪く思いたくないし、

傷つけたくなくて、

悪口を言われることを受け入れて、

何も言い返さないことが多いです。


そして、真面目だから

相手の悪質さを間に受けて傷つきます。


でも、悪口を言う子の大半は、

根っからの悪童ではなく、

何か強いストレスがあり、

それをうまく出せなくて

モヤモヤを抱えたものを吐き出すために、

そういう言葉を使います。


相手を嫌いで、とか、

本気で思うのではなく、

八つ当たり先に

柔らかい相手を選ぶのです。


だから、上記の彼は、

過去に仲間から

キツく言われた時期もありました。


でも、徐々に言い返したり、

相手の悪事を「悪事」だと

認める強さが育ちました。


そうすれば、

言われる側になることは

なくなっていきます。


さて、

そんな優しい彼も、

成長と共に、

心にさまざまなストレスや

モヤモヤを感じるようになります。


親の愛情では

復活できないような内容の苛立ちも

自分で超えていかねばなりません。


そんな時、

友だちが自分の横で

悪態をついている。


言ったことない言葉だけど、

自分の代わりに

胸の内の毒を吐いてくれているようで、

なんだかスカッとする。


しかも、その子は

口癖のように口が悪いだけで、

人を傷つけるような使い方はしていない。


優しい彼は、

ようやく自分の心のモヤモヤを

出せる方法に出会ったのかもしれません。


今日、ミュージカルに

久しぶりに来た中2男子も、

ちょっと幼い子を

からかっていました。


ああ、学校が窮屈なんだね。


ちょっと幼い子は、

本気で怒って立ち向かっていました。


ほどほどにしておきなよ、と、

私がとめても、なかなか止まりません。


実は

幼い側の子も足を捻挫して

思うように動けないストレスから、

当たり先がほしかったから、

余計にからかいに乗って、

立ち向かっていたのです。


最終的には両者火がついて、

力の差で幼い側が泣くと言う結末でしたが、

どちらも別のイライラを

ぶつけたことから起きたトラブルでした。


人を傷つける言葉は、

確かによくないのかもしれません。


でも、全く使わないように

蓋をして言えなくしたら、

心のモヤモヤやイライラは

行き場をなくしてパンクしてしまいます。


体を動かして発散するなど

自家消費してガス抜きできればいいけど、

食べ過ぎにつながったり、

お酒やタバコに向かっても体に悪いし、

自分を責める方に向かって、

病気にだってなりかねません。


だから時には、

悪態ついてみるのは

悪いことじゃないのかも。


人に言ったら傷つけるから、

ゲームの敵に向かって、

難しい宿題に向かって、

ぬいぐるみやテレビに向かって言う、

日記帳に書く、

劇の中のセリフでならあり、など、

矛先をかえて発散するぶんには

おおらかにみてもいいんじゃないかと

私は思います。