災害の多い時期に

6月から7月初めは災害がかなり多い


母親も父親も亡くなり、また妻が亡くなり24年目に

今は娘二人も嫁いだから、私と愛犬トボだけに

なった

トボは16歳の誕生日を超えて

17歳に向けて

まだまだ元気モリモリのトボ







たまたま夢に出てきた母親

母親が伝えてきた事を

自慢話になるけど、最後まで読んでいただければ

幸いです。


まちづくりに専念してた母親のお父さん

母は9人の女ばかりで8女


町議を5期約20年して、地主であり

ラムネ工場を経営していた

当時炭鉱が栄えていて

炭鉱が11もあった町


叔父は、常に町を愛して

町にお金がなければ、山畑や宅地を売ったらいいと

いつも母親に話していたという


この橋を作って

今は田畑に水が流れ

小学校の通学路も水浸しがなくなり

安心した通学路になっている

偉そうに😆 帽子を被って監督していたのは

叔父で。






小学校の先生ばかりの母親姉妹

戦争中は、着物の反物を持って

米と交換に姉妹9人で行って交渉していたと。

母親の母は早く亡くなり、父親の叔父が亡くなり

葬儀の時に、9人姉妹が今後どうして生活しようかと悩んでいたらしく。


そしたら、「お金を返しにきました」と

近所の方がお金を持ってこられ

借用書もなくて、叔父から病院建設のお金を

借りたと言われた。

9人姉妹の長女が受け取り、以後長女がお家を

守り続けた。


昭和1桁の時代のお金で500万は大金では?

今のお金でいえば、、、

借用書もなくて、人との信用でお金を貸す時代だったのかもしれないが


まちづくりは、人と人との絆のつながり

困った時は、寄り添い

助けあうのが一番といつも言っていた叔父


母親と今は雲の上で

この町をどのように見ているのだろうか!

今の政治家などをどう見ているのだろうか!


質素倹約

ただ使う時は一気に使う

家訓として、受け継いでいる諺

一銭を笑うものは一銭に泣く


明日から入院・手術

愛犬トボは、動物病院のペットホテルに

無事、我が家に戻れることを

トボのフードも忘れずに動物病院に