美術家竹本真紀のトビヲちゃんブログ

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アートはわたしにとっていろんなものや場所や人と対話するためのコミュニケーションツールです♪

私が、「差別」ということを初めて意識したのは、
上京してから、
「差別」されてきた人に会ったときでした。

それまでは、差別問題なんて考えたこともありませんでした。

ただ、大学生の頃、学生寮にイスラム教の留学生がいて、
お肉が食べれないから、
寮食で彼女の分だけ、お肉なしでできないかとお願いに行って、ひどく怒られ、
悔しくてたくさん泣いた経験はありました。

それくらい、差別というものから縁遠い小さなコミュニティで生まれ育ったのかもしれません。

しかし、全く差別がなかったのかと、
思い起こせばそういうわけでもなく、
近所の知的障害者の人やダウン症の人をいじめたり、悪く言ったりしたことはありました。

しかし、悪く言ってもまた一緒に遊んでいて、
障害があるなしというより、
気があうか合わないかで付き合っていて、
それぞれが、それぞれの過ごし方で、なんとく共存していたような気がします。

そんな八戸市の市民性を考えてみると、
自分の行く道に忠実に進んでいった結果、
日本で最初のキャリアウーマンとよばれた羽仁もと子さんのような方がいらっしゃったり、

井上ひさしさんいわく、八戸市という土地は民族学的にも飢饉が多くて皆が助け合わなければ行けなかったので、安藤昌益のような思想が生まれたんだよ。

なんて話があったりして、

「差別問題」とはなんとく無縁な土地だったのかしら。

なんて思うようになりました。

昨年、在日韓国人の方の差別問題に関わる作品を発表しましたが、

それをみた、八戸市出身の方が、
「子どもの頃、同級生の家に遊びに行ったときに、実は、私、在日韓国人なの。と、恐る恐る言われて、なんたんだろう。と、思ったことがあるけど、やっとその意味がわかった。」

と、おっしゃるほど、

八戸市は、差別問題を民族学的にも経験していない土地なのかもしれません。

私はここ10年のあいだ、差別問題や人権問題にふれるようになりましたが、

それを大切にしているといって活動している支援者とよばれる人の方に、

「アートに何がわかる」
とか、
「あなたは、どうせ苦労もなくやってきて当事者のことなんかわからないんだ。」

みたいな言葉を浴びせられてきました。
(もちろん、全員が全員そうではありません。)

私はこの人たちは、差別反対!と声をかかげながら、
十分に人を差別しているのではないかと疑問に思います。

差別反対というならば、
行政の人にも、
金持ちにも、
成功者にみえる人にも、

ニュートラルにいられることが、

本当の差別のない状態ではないだろうか。

と私は思います。

とは言いつつ、わからないので、
安藤昌益が答えを知っているのかもしれないので、本を読みます。照れ