Sherilと出会ったのは大学のキャンパス

 

英語が母語でない学生向けの授業での課題に、

知らない人に話しかけて、10以上の質問をし、

それをリポートするというのがあった。

 

課題を聞いて、誰に声かけようかとドキドキしながら、

キャンパスの芝生でのんびり過ごす学生達を物色

 

そんな中で、彼女と目が合った!

 

笑顔が素敵で、クールだけど人懐っこさも感じた。

 

そして、思い切って

HELLO😉❗

 

 

話しているうちに、なんと!彼女が同じ寮

(キャンパス内に3つの寮棟)というだけでなく、同じsuite(スイート)

だということが判明!!

 

suiteとはシャワー・洗面所のスペース挟んで2人部屋3室ずつ6室(12人)で1suite、

寮の建物の入り口だけでなくsuiteの入り口にも鍵があり、

suite内は行き来自由となっている。

 

シャワー室挟んでの部屋で、それまでお互いに気づいてなかったのだ。

 

で、もちろん、話題はルームメイトのことに。

 

同じ寮内に、それも同じsuiteで話せる友達ができた!

 

この彼女との出会いで、私はどん底から希望の光を見つけた気分になった!

私がアメリカに行ったのは、大学3年生の時。

 

高校の時から、海外に憧れはあったが、

父親はとても厳格で、家からは出してくれそうでない。

 

で、考えたのは、大学の奨学金付き留学制度の利用。

 

約1年の留学制度ある希望の大学に合格し、

TOEFLの点数もなんとかクリア。

そして面接もクリアしてから事後承諾を願いでた。

 

それでも反対していた父親。

母は父に逆らえない。

 

そんな時、助け船を出してくれたのが同居していた祖母。

 

茶道の師範で私が小学生の時からお茶室に入れてくれ、

いずれは海外に茶道を伝えられるといいね、

と言ってくれるような祖母だった。

 

で、祖母のおかげで、無事、留学できることに

 

夢いっぱい、希望いっぱいで準備も終えて、

無事着いたアメリカ。

 

しばらくして寮(domitory)生活が始まるが、

スタートは甘くなかった。

 

はじめて出会うルームメートは、私の顔を見るなり、

あきらかに嫌な表情。

 

すぐに隣の部屋に行って

〝なんで、私のルームメート日本人なのよ〜😤"(英語で)

 

と、不満タラタラに喚いているのが丸聞こえ

 

日本にいる時はもちろん、自分が日本人とあまり

意識していなかった。

 

アメリカに行って、差別的発言で、はじめて

人種・バックグラウンドについて意識した時だった。

 

その時、どれだけ英語が聞き取れていたかはわからないが、

相手に嫌がられ避けられているのは、ひしと伝わってきた。

 

で、相手にぶつかっていきたい気持ちもあったが、

なんせ英語が出てこない!(いや、そんな勇気なかったか!)

 

また、彼女が私を避けて⁈ 部屋にいる事もあまりない

 

寮のオリエンテーションは、皆ルームメートたちと参加しに行っていたが

私はひとりだった。

前途多難なスタートの予感ばかりだった。

大学生の時に、アメリカに 10ヵ月留学する機会に恵まれ、

 (TOEFLギリギリ基準点クリア! これが足りなかったら、留学できてなかった) 

 

でも、自分が、中学校・高校 そして 大学と英語を学んできたのに、 

アメリカ行って、話せない自分、聞き取れない自分に

どれだけ 情けない思いをしたことか 

そして、やっと話すのが楽しい!これからだ!って時には、 もう帰国

 

 でも、アメリカ留学できたから、 少し自分にも自信持て、 

好きな英語を、英語が使える 楽しさを教えることができる 教師の道、選んだ。 

そして、使える英語を 身につけてほしいと、 いろいろ活動も考えて、 授業も工夫してきた 

もちろん限られた授業数、 試行錯誤で、上手く いかないこともあり 

今思うと反省点も多々あるが… 

 

でも、授業参観に来られた 保護者の方から、 

子供たちが声出して 楽しそうに活動している 授業を見れて嬉しかったです 

という内容の丁寧なお手紙を もらった時は、 私の方が嬉しくなり、 

そんな手紙は宝物の一つ 

疲れた時、しんどい時にも 心の励みになった! 

 

そして 中学校も10数年勤めた頃、主人の転勤で中学校を辞め引越し 

2回目の引越し先では 地域の公立小学校が、 1年生から各クラス週一回 

英語活動をしていて 指導員募集されていた! 

 

まだ、文科省が小学校 外国語活動を取り入れる前から 

地域の公立小学校では 1年生から英語の授業が 取り入れられていたのだ!

 

ちょうど、娘が小学校 1年生と4年生 ふたりの娘とも共通の話題が 増える! 

一緒に小学校通いだ! (学校は違うけど) 

私自身、今までの中学生から 突然小学校1年生からの授業に 戸惑いながらも、

子供たちの反応が可愛く、嬉しく、 あっという間に10年! 

 

英語って、楽しい! 今までわからないと思って いたけど、わかったよ! 

と言われると、ヤッター!と 私も嬉しい😆 

 

まるで、スターのように子供達に囲まれ、先生、どこの国の人?

(どう見ても日本人と思うが)

 うわぁ!日本語話した〜!😅 

とびっくりコメントにこちらも びっくり😆 

(流石に、小学校外国語活動が始まった頃からは、そんな反応もなくなってきたが…) 

 

でも、3年前 小学校外国語活動も 本格化して、

小学校3年生から 外国語活動スタートという時に、夫君が倒れた。

 なんとか命は助かったが、片麻痺と、語りかけ(刺激)がないと、

1日、自分から動く事ができない (脳に負った障害のため) 

4月スタートの学校の仕事は辞退した。 

 

現在、自宅で英語を教えているが、

「自分は英語苦手だったから 子どもには英語ができるように なってほしい」

 と、いう親からの声を聞いたり 

小学校の先生達からは 

突然、外国語(英語)の授業がはいってきて、戸惑いの声も聞いていた

 

 英語苦手だったのに… 自分の発音でいいの? 授業どうしたらいい? 

などなど 

 

ある事をきっかけに 英語をもう一度やり直したい 使えるようになりたい!

 そう思う人も多いのではないか?

 いや、ずっと英語できるように なりたいとは思ってきてるけど、 

苦手意識持ったまま、 本腰入れてするタイミングを逃してきていることもあるかも 

 

子どもが学び始める時は、一緒に学ぶチャンスではないか?

 

そんなこと、考えていた時に、英語コーチの仕事をしている人に会い、

ゴール達成率93.3% ナンバー1英語コーチのコーチ講座を知った。

 英語コーチなら、そういう人達の力になれるのではないか?

 

 何年も時間をかけずに、一定の期間、ゴールを決めて、しっかり取り組む

 1人ひとりのゴールに合わせた オリジナルプランで 

コーチが一緒になってゴールを 目指す! 

そういう英語コーチの仕事が ぐっと身近に感じられるようになり、 

自分の新しいスタートの仕事としてチャレンジの夏が始まった。

 

 

ある日突然、脳出血で倒れた夫君

 

その日の夜、急性水頭症の症状あると緊急手術

その後は、最悪の事態も覚悟するように医者に言われて

娘と顔を見合わせながら、無事を祈って夜を過ごした。

 

その後、ありがたいことに命は取り留め、徐々に回復

 

でも、左半身麻痺、脳にも障害(高次脳機能障害)

当たり前にできていたこと、考えずにできていたことが

困難になってしまう。

 

 

誰でも、いつ、人生が終わるかわからない

今の人生、このままでいい?

今、どうしたい?

 

このままで後悔することはない?

 

やりたかったこと、そのままにしていない?

 

どうしたら、少しでも納得できる生き方ができる?

 

いろいろ考えなおすきっかけにもなった。

 

で、出会ったのが英語コーチング

 

今の仕事にも活かせて、場所を選ばずに仕事ができて

夫君の状況にも、比較的柔軟に対応できる

 

同じように様々な環境や心境の変化の中で、

 

英語を使えるように、やり直したい!と思っている人

 

サポートしていけるとうれしいです!