エホバの証人の組織を出てから

 

かれこれ15年目、

 

もう二度と帰らないつもりではいるが

 

あそこで学んだことも多かった

 

神権宣教学校で作る割り当ては楽しかった

 

たとえの大切さも学んだ

 

たとえの使い方で 今も覚えているものがある

 

理解する、とはどういうことか、のたとえ話だった

 

20年ぐらい前の記憶なので うろ覚えだけど

 

こんな感じ・・・

 

あなたは車を運転しています

 

見ると 道の向こうに一人の少年が立ちはだかっています

 

そして何か石のようなものを こちらに向かって投げようとしています

 

あなたは 「なんてことをするんだ 注意しないと!」と思い

 

車を止め、その少年に近づきます

 

近づくと 少年は目に涙をうかべ、

 

「ごめんなさい、でもどうしても止まってほしかったんです」と言い、

 

土手の下を指さし「助けてください」と言います

 

見ると、少年の友人らしき人が土手の下の方に倒れています

 

・・・あなたは 少年の行動を 理解したのです

 

 

こんな内容だった

 

なるほど

 

理解することによって その人に対する(あるいは出来事や物に対する)

 

見方がガラッと180度変わることもあるんだなあ、と思い

 

理解することの大切さを学んだ

 

わかりやすいたとえ話だと思った

 

それ以来

 

理解する、を考える時は セットでこのたとえ話が頭にうかぶ

 

 

最近も このたとえ話を思い出した出来事がある

 

それはまた別の時に書こうと思う