例えば


恋い焦がれて結婚した相手だけど、
生活を共にするうちに
家族としての愛になったとか
男性としてみられなくなったとか
女性としてみられなくなったとか
聞くことがあるけれど


それがなぜ、
不倫する理由になるのかわからない。


結婚して家族になって、
私も子どもが出来る前は
結婚しても子どもが出来ても
『家族になっても今の気持ちを忘れず』とか
『お互いを一番に…』とか
描いていたけど、そんなものは
現実の小さい命の前には
幻想に過ぎなかったです。
その思いを忘れたわけではなく、
現実として無理だった。
少なくとも子育て真っ最中のときには。
(それも母となる人のタイプにも
よるのかもしれませんが)


乳児のときの命を守ることの重圧や
しつけを考え出す1歳を過ぎてからのこと。
ただかわいいだけではすまない、
それは本当に毎日が真剣勝負で。



そんな時に
自分を一番に見てくれないからと
浮気したり不倫したりする夫もいるらしい。


母親と父親で、一般的にいわれる
母性や父性の自覚や歩みに
スタート地点からどうしても差があるのは
なんとなく理解はするけれど


必死で命を守り
生活に向き合っているときに
そんなことされたんじゃ
たまったものじゃない。


人は認められ、
必要とされたい生き物だから
自分の存在価値を
どこかに感じたい気持ちはわかるけれど、
でも十分、必要とされているのに。


男と女としては向き合えない時期が
あったとしても
夫婦として父として母として
どんなにか互いが協力して
向き合っていくことが必要か。


子どもに100%注いでいるうちに
夫が浮気していた不倫していたなんて
話を聞くと、ほんとにやるせない。


外に出て誘惑や心揺らぐことがあっても
今の幸せとその先にある破滅を
想像できる人は
上手に踏みとどまり越えていく。


それを、
相手にしてもらえなくてさみしい、
子育てばかりで女捨ててるとかで、
昨今さらにお手軽になった感のある
不倫に手を出してしまうのは、
人として未熟なんだろうと思う。


そして自分の奥さんも
さみしさや虚しさからアプリで
話し相手を探していたりして…
そんなことになったとしたら、
なんて本末転倒、悲しいこと。





子どもができたら
『母』が勝ってしまうタイプがいて
(ホルモンなのかなんなのか、
愛情深いのだから素敵なこと。
私もそのタイプ。自分で言うねー)
夫からすれば自分の子どもを守ってくれる
妻がそうであることは
頼もしいことだと思うんだけどな。


夫婦において男女の愛情というものは
子育ての時期は互いに、
子どもの父親として母親として
人間として尊敬できることで
相殺していけるものでなくては
ならないと思う。


そうして向き合ってきた夫婦は
子どもが大きくなるとともに
男女の割合が大きくなっていき
また寄り添っていけるのだと思う。


子育て中でも、男女としても
多少の波はあれど上手に切り替えて、
うまく過ごせている夫婦も
いるだろうし、まさにそれが
正しく理想なのだと思うけど。


どこかですれ違っても途中で気づいて
話し合ったりわかり合って
またラブラブ(古)に過ごしている
夫婦もたくさんいます。





いろんな事情があり
子育て中だったとしても
スムーズにいくこともあれば
いかないことも、
100人いれば100通り以上の
思いや環境がある。


何が正解で間違ってるかなんて
その時にならないとわからないことも
たくさんある。
ずっとずっとあとになって
わかることもたくさんある。


揺れる気持ち
迷う気持ち、
もちろん
誰にでもある。


けれど
踏み越えてはいけない線を
踏み越えてしまうことを

『人は弱いから』
『私の人生だから』
『妻(夫)が悪いから』
『その方が円満だから』

などと都合のよい理由をつけて
きちんとけじめをつけず
自分に許している人は、
結局は何も大切にできていないのでは
ないかと思う。





ずいぶん昔のことだけど
周りに知り合いも助けてくれる人も
誰もいない夫の赴任先に引っ越してきて
子どもは複数で小さくて
子育ては大変で旦那さんはなかなかの
非協力的さで
お友達もなかなかできなくて孤独で
そんな胸のうちを綴っているブログを
拝読していて、


そういうことを語り合える友達がいたら
少しは発散できるだろうにと
思ったことがあった。
(その方は確かいいねもコメントも
クローズにされていた。)


そして、そういう環境にある人が
いろんなブログを見ているうちに
不倫の世界にいってしまうことだって
あるかもしれないなと思った。
(その方がそうだということではないです。
私の思考の飛躍です。)


遠い未来
近い未来に
後悔するかもしれなくても
今自分にまとわりつく孤独や寂しさを
うめるためにそういう世界に
救いや癒しを求めてしまう。


とても悲しいことだな。


とはいえそれでも、
しない人はしない。
する人はする。


そうなんだけど。


まとまりもなく、
今日はこのへんで。