注意このブログはとても重い内容に

なっていますのでご注意ください🙇



注意私の信条、心情として

『死』という漢字は使いたくなくて

ほとんどの記事では

ひらがな表記にしていますが

このブログでは漢字表記にしています。



注意法律的な話ではなく あくまでも

私の体験や思いを語るものです。





これまでにもそうですが、

最近テレビで特集されたこともあり

安楽死について他の方のブログでも

このテーマに触れているものを

いくつか拝読しました。




数年前にがん患者になった私には

身につまされるテーマでもあり

なかなか記事にできなかったことですが

看護師として医療に携わってきて

昔から思っていたこと、これまでも

下書きにしていたことも含め

少しずつ書いていきたいと思います。










私は、看護師に進路を決めてからずっと

患者さんとゆっくり関われる内科系、

できれば終末期医療に携わりたいと

考えていました。



現在は病院の一部門に緩和ケア病棟を

設けているところも増えましたが

当時は独立したホスピスや緩和ケア病棟は

少なく、就職した病院で出来るだけ

ゆっくり患者さんに関われそうな

内科病棟を希望し、配属になりました。



そこには数えきれないくらいの

色んな生死がありました。








穏やかな人柄で文句のひとつも言わない

患者さんには、闘病中も最期の時にも

ただひとりの面会もありませんでした。



がんを告知をされていなかった患者さんは

命が尽きるその最後の瞬間まで

苦痛と意識があり、ご家族の顔を見ながら

『くやしい』の一言を残し亡くなられました。

(1990年代頃はまだ告知しないことの方が

多かったです。この方のことは私の死生感に多大な

影響を与えました。

注意告知が浸透してきた現在でも告知に関しては

一方向からは語れない問題だと思います。

また、がんの告知と余命の宣告は違います。)



いつも面会の人がおられ、

笑顔と笑いにあふれた患者さんも

いました。







なぜ


人生の最期を一人で過ごさなければ

ならなかったのか。



なぜ


人生の最期にこんなに苦しみ、

悔しさを残さなければいけないのか。



人生のほんの一部、けれど

人間の究極に深い部分に接し



家族に看取られ、幸せとも思える

人生の最期を迎えられる人との差を

体感、経験するにつれ



20代の頃から

『どう生きるか』だけではなく

『どう生き、どう死んでいくか』

を人生の大きなテーマとして

考えるようになったと思います。








②に続きます。