誰かを許すということは
とても大きな力がいること


私は自分の子どもに
誰かを憎み続けるような人生は
送ってほしくない


例えそれが自分にとって
許せない相手でも


例え今はそれが
自分の意に反することでも


いつか我が子が
人を憎む人にならなくてよかったと
思える日がくればいい


子どもが自分の思いとかけ離れ
自分の意思を持ち意志を表明すること


大人になっていくことの寂しさや
もしかしたら許せない部分が
見え隠れすることに恐れを抱くことも
あるでしょう


でもその部分を否定することは
存在そのものを否定すること


子どもから大人への変換期で
守られる側から守る側への狭間で
子どももきっと苦しんでいる


知った方がいいのか
知らない方がいいのか
どこまでなら話すのか
年齢や性別や状況や
ケースによって様々でしょう


我慢したことや
伝えなかったこと
無駄になんかならない


だから 自分のつらかったことを
子どもに背負わせてはいけないと
今の私は思う


力ではなく
束縛ではなく
コントロールではなく


根底に揺るぎない信頼があれば
その子なりに自分の置かれた状況を
理解しようとする日がくる


【自分】という人間を生きていくのは
あなたでもなく 私でもなく
“ 別の ” ひとりの、大切な命


自分の道を自分の足で歩いていく


いつかのその日のために


親の役割は土台を作ってあげること


【自分】という人間を愛せるように
してあげること


誰かを愛し 誰かを信じ
揺るぎないものを
その子自身で築き上げる


いつか訪れるその日のために




そうそう上手くはいかないけど
頭と心の片隅に 親としての私が
いつも忘れたくないこと。