ピアスで気合!2 | 原田篤 オフィシャルブログ『こんな俺にダレがした!』 powered by アメーバブログ

ピアスで気合!2

先ほどの続きです。

さてさて、どれだけがむしゃらだったかというと


2日寝ないのはあたりまえ

時には3日なんてのもありました。



なんせ、まだ学校の他の授業や定期テストもあるわけですから。

それを同時にしていかなきゃいけない。

とにかく脳みそが勉強に馴れるようにしていたんです。



でも当時、同じように2年までさほど勉強せず、

共に遊び、共にラグビーし、三年間同じクラスにいて、

偏差値がさほど変わらなかった男が東京に行くことを先に決めて勉強していました。


その男は、今、吉本興業でがんばっている。

ドンドンドン、ドンドンドン!


ラジカルレギュラーの

オオカミ少年 片岡

当時のこいつの口癖は


(勉強)やってないよ!』


でした。でも努力してたんだろうと思います。

先に言っておくと彼は

青山学院大学

に合格しています。


人間ライバルがいると燃えるものです。



でも、勉強なんて一気に結果が出るようなものではありません(まだ2ヶ月しかしてないしね)。

夏休み前の模試で、自己採点で最悪な点数を取り、判定結果が出るまでも無く、

このままではいかんと悟り、さらにもうチャージ!


夏期講習で勉強、空いてる時間は自習室で勉強。

とにかく代ゼミをフル活用して、家でもずーーーっと勉強。



しかーし、睡魔はやってくるものです。



夜中にウツラウツラしている時に、偶然目の前にあった

安全ピン

前から興味があったピアス。

受験勉強やりすぎて、頭おかしくなっていたんでしょうか・・・。



ブスッ!



うん、あまりの痛みに目が覚めます。

うずいて眠れません。


よっしゃ、

いくぜっーーーー!


ターゲット1900。


かかってこい!


構文150。


記憶系は、夏休み中にほぼ覚えきりました。


英単語、英熟語、古語、漢字、文学史。


ひたすら叩き込みました。



さあ、そこからは実践していくのみです。



いよいよ、赤本で傾向と対策を練り。

テスト慣れしていないので、参考書のテストや問題集を時間を決めて解きまくり。

答え合わせをして、弱いところをつぶしていく。

やりすぎて問題集がなくなった時は、

母が夜中に遅くまでやっている本屋さんに連れて行ってもらいました。


気合、気合、気合で足りない時は、


ピアス!


気づけば、受験間近の1月には、


右に2個、左に3個


耳たぶに、すっかり穴が開きました。


そして、そのかいがあってか、

安全ピンが突き抜けた耳たぶの用に、

12月の模試の結果は、予想得点を突き抜けておりました。


でも、あくまでも模試。

なにも安心は出来ません。

浪人はしたくなかったので、

さらに追い込みました。



でも、1月になって知ったことがありました。

僕が最終的に受けることにした、

日大芸術学部、


放送学科


演劇学科演技コース


映画学科演技コース


特に行きたかった演劇、映画の演技コースは募集しているのは、

ごく少人数。

前年度、倍率(正確には覚えていませんが)約55倍。


一次試験の筆記では、ほぼ満点じゃないと通らない。

・・・、という噂。


びびりました。

しかし、後はやるしかありません。


そして受験がやってきました。


実は、その前に受験なれしようと

亜細亜大の2学部を受験していたんです。

テストの教科も多いので、こちらは本当に慣れのためだったんですが・・・。


結果は最悪でした。

緊張でいつも出てくるものが出てこない。


1日脳みそを休めて全然関係ないことを考えて過ごしました。

しかし考えないでいられるほど、毛の生えた心臓でもなく。

やはり頭の中は受験受験。

しかし、夜が更ける頃、行き着いた考えは、


『ここまでやったんだから、開き直ればいいんじゃない』


気分がかなり晴れました。




そしていよいよ、

日本大学放送学科のテスト。


はい、落ちました。

わりかし良い得点だったんですが、それでも日芸の壁は厚く。遠く・・。


しかし、本当に合格したいのは、

演技コース!


そしてさらに開き直りの演劇学科・・・、



はい!落ちました!1次試験で!



落とした問題は一科目2問か3問ぐらいだと思います。

あの噂は(多分)本当でした。



*もしかしたら、演劇の方が先だったかもしれません。どちらにしろ落ちています。なにぶん10年以上前なので順番間違っていても、責めないでくださいませ。ラストは確実に映画学科でした。




ということは、ラストの映画学科は一問も落とせない。

落としたらいけない。


受からない。


落ちる。


浪人は出来ない(親に負担はかけられない)。


*ちなみに、演劇(もしくは放送)の合格発表は父が観に行ってくれた(何でかはおもいだせません)のですが、今でもあのとき、電話から伝わってきたテンションの低さが忘れられません。ちなみに実家に戻った父は母と話し、すでに予備校や専門学校について調べだしていたようです。



そしていよいよ、最終試験の

日本大学芸術学部映画学科演技コース


半端ない気合と、集中力。

受験勉強のしんどさを噛み締め、

2度とあんな勉強したくない(でも実質は9ヶ月しかしてません)と思いながら、

問題用紙をめくると、


奇跡が!


問題集で過去こなしてきた問題だらけ、

アンビリーバブルとはこの事。



しかも、両科目でです。

英語も長文は解いてくださいと言わんばかりの問題で、

絶好調。


自己採点はなんと、


満点!



そして1次試験の合格発表。

はい、もちろん・・。



合格!



2次試験は実技だったのですが、

気合と、引っ張ってきた運を味方につけ見事に


合格!


嬉しさのあまり、学校に電話すると、電話の向こうで先生達が


『原田が日芸に受かったらしいぞ』

『えっーーー!』


とワイワイしていました。

先生達からしても奇跡だったようです。


苦しかった受験勉強そして、

耳に開いた5つの穴。

いろいろな事を経験し乗り越えて、

晴れて東京行きの切符を手に入れたのでし・・・。


あれ、日本大学芸術学部、1年生、2年生は、


所沢校舎Σ(・ω・ノ)ノ!


埼玉じゃん!


という、東京デビューのつもりが、マジボケで埼玉デビューしてしまいました。


兎にも角にも、あの時合格しなかったら今の東京暮らしやこの仕事も無いわけで、

結局、2年で辞めたのですが(江古田校舎でキャンパスライフは送ってません)、

今となってはかけがえの無い2年間です。



だからこそ、今はあの受験勉強は楽しい思い出です。

それ以後の人生のしんどさに比べたら、屁でもありません。


そして僕には何かしらの運もある。

だからこそ、信じて頑張れる。


今、正直僕が出来ることは、自分を伝えていくことだけだけど、

いつかもっと、もっと、でかいこと言えば世界に向けて何か出来ればいいなぁ。


まぁ、最後はまとまりもありませんが、以上懐かしの受験話でした。


*10年以上も前のことなので正確じゃない部分もありますが、楽しんで頂けたら幸いです。


最後の最後に、


お世話になった、お父さん、お母さん、八つ当たりをして嫌な気分にさせてしまった弟。相談にたくさん乗ってくれた学校の先生。代ゼミの古文の土屋先生。自習室で共に勉強し、休憩所で、受験終わったら、あれしようこれしようと言って気分転換に付き合ってくれた仲間達。一人では乗り越えられなかったと思うので、


本当に感謝です。

ありがとう。