はじめまして!

 

どーーーもどーもどもどもども、はじめましてトビーと申します!
この度、事務所にアメブロを始めるチャンスをもらってばり感謝してんねん✨

 

え、「してんねん」?!

 

せやねん!標準語にまだまだ苦労しているコッテコテ関西に染められたドイツ人、トビーと申しますねん!

なんでかって?遡ること6年前の、初めて日本の地を踏んで、人生初一人暮らしを大阪の西成区というところでしたからや。

高校を卒業して何学部に入りたいか、将来どんな大人になりたいか、全く決められない最中、18歳になった僕はドイツの法律では「成人」と認められた。大人なんやったら「自立した視野の広い人」になりたいという気持ちがいっぱいで、巣立ちをして、どこか遠い海外でボランティア活動をすることを決意。

15歳にの頃に“Last Samurai”という映画を観てドイツの国技であるサッカーを辞めてから剣道をやり続けてたわけで、その「遠い海外」を日本に決めた。

 

ドイツでは僕のちょい前の世代までは徴兵制があって、非戦論者は代替義務としてボランティア活動することが珍しくなかってんけど、海外のボランティア先を紹介する団体が少ない中、幸運にも数少ない海外でのボランティア活動のチャンスに恵まれた。犯罪率が先進国の中でもダントツに少なく、礼儀正しい国民性、公衆ゴミ箱が少ないのにもかかわらず道路にゴミが落ちてなくてきれいな街が広がる夢の国のような日本!

 

しかし!

辿り着いたらぜんっっっぜんちゃうやん!!!!

 

日本に抱いてた幻想は一瞬で打ち砕かれてもうた。

まだ着いてばっかの僕は下宿先がある「大阪西成区」に向かって、ゴロゴロを手にしたままで地下鉄から出ると、眼の前でおっちゃん二人が路上喧嘩しとる。チャリと車がぶつかりかけたらしくて、おっちゃん同士の喧嘩が始まっとる。顔と顔の距離が15センチくらい、二人の怒鳴り声が僕のとこまで響きわたった。当時は挨拶程度の日本語しかわからんかったけど、おっちゃん同士の怒鳴り合いは決してきれいな日本語とちゃうことは分かった。

なんやここ!!関空で降りたんとちゃうんかい!New Yorkのデトロイトならわかるねんけど俺が向かっとった「夢の国」ってここなん!?

とりあえずは生き延びて新居へ向かうことに。

印刷した地図には見慣れん無数の文字が書かれ、僕は道を彷徨ってた(またいつかドイツの住所のわかりやすさについて投稿せなあかん。未だに日本の住所制度を論理上に理解しても複雑さが意味不明)。
ドイツから乗り換えありで関空まで15時間、関空から最寄りまで2時間、駅から新居まで30分(迷わず行けば5分)。疲れ果てた僕が地図と同じ形の文字を発見。大喜び。

…いや、ちょ、ちょっと待っってぃ~!

ここ?!

 

住所確かめても、間違いなくここ。

 

中に入ってみると一生懸命覚えた日本語の挨拶が全く通じひんおっちゃんがチャイニーズチャイニーズと満面の笑みで連呼しとる。歯が5本くらいしか無いけどその分愛嬌はたっぷり有るおっちゃん。
18歳の僕が欲してた冒険は、初日から想像以上に難易度高め。

英語も通じんし、俺ができる中国語は二―ハオだけやから、おっちゃんがメモ帳に書いた数字が家賃の初回分だと察して、お金渡しとったら番号の付いた鍵渡された。

おっちゃんは早速と去って、僕は部屋番号を探す。

見つけたのはこちら

 

階段下の左の扉。右の扉は他人の部屋。天井は斜め、広さ2畳、布団敷いとったら棚代わりに使ったスーツケースを開けれず。
ただ、ここの同居人に関西弁教わったわけとちゃう寝んけどね。何故ならタイ人5人とベトナム人2人だけやったから。日本に着いて最初に覚えた言葉はđẹp trai (ベトナム語:ハンサム)。これこそ冒険。布団に座っとるとき、天井から何かが肩に落ちて「カサカサ」と姿を消したナニカと遭遇したのも冒険。

そう、階段と僕の天井の合間に居住されとるあのGが僕の肩に落ちてきた。

北海道と同じ緯度にあるドイツでは見たことのない ゴキブリ との初対面。

けどゴキブリよりも、驚いて叫んだ僕を助けにきてくれたベトナム女性が素手でゴキブリを掴んで外に出した事がなにより衝撃的やったわ。

強めのベトナム人達、何故か常に料理してシェアハウス全体に良い香りを広めてくれるタイ人達、そして誰ともコミュニケーションが取れへんニコニコ大家さん。

(そんな彼がGoogle翻訳かなんか使って頑張ってドイツ語でトイレに注意書きを書いてくれたけど、sheddingはドイツ語じゃなくて英語やって事を伝えず満面の笑みで文字に指差しとるおっちゃんに謝謝と返しといた)

 

 

気付いたらみんなの人柄のおかげで新生活にも慣れとって、3日目にボランティア先に初出勤。
重度障害者向けの福祉施設。

景気の悪い地区(現在上昇中みたいやけど)で高いデイケア費用を払えない障害者のいる家族の生活や心を支えている貴重な福祉施設。
長いような短いような一年を過ごして、施設の素敵な利用者さんたちと情熱の持ったスタッフさんたちとの交流が僕の人生のターニングポイントになった。

医療系の仕事の中で人のために情熱を注ぐ人たちの姿に感心するとともに、その温かな心に惹かれ、帰国後、医学部に入る決意を下した。

ドイツでは高校の卒業試験の点数によって、どこの大学のなんの学部に入れるか決まる制度やねんけど、がんばって勉学に励んだこともあって、バイエルン州の特待生として2013年にミュンヘン大学の医学部に入学できた。

 

あれから5年

もう5年か…

おっちゃんはいまもニコニコして、タイ人はまだ四六時中調理して、ベトナム人はまだ元気にゴキブリと戦っとるのかな

 

少し記憶も薄れてきとるけど、これが僕の日本との出会い、そして医学の道を踏み出したきっかけ。

これから、いろいろな過去の想い出も、最近の出来事も、このブログを綴っていきたいと思うねん!よろしくお願いします。😌

 

最後まで読んでくれた皆さん、ほんまにおおきに~!!

 

梅雨の土砂降りに傘の意味を問う18歳のトビー

の図

 

 

 

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