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こんにちは!
いつもあがいているペンギン🐧です。
昨日のつづきです。
悠稀智惠先生の「人生の棚卸」という課題を取り組んだ私は、
自己肯定感の低さの原因が母親だと自分でハッキリと分かりました![]()
私の母はお寺の一番上の長女として生まれました。
長女・長男・次男・次女の4人兄弟。
昔のことなので、そういうモノなのかな?と思いましたが、
お手伝いさんがいるようなお寺で「お嬢」と呼ばれて育ったようです。
母の実家全体がそういう印象でしたが(叔母叔父みんな)、特に母は気位が高い![]()
実家を出て、何十年も経つのに、いまだにプライドの高さは健在です![]()
母が31歳のときに姉を出産。
その5年後に私が生まれました。
両親は二人とも地方出身だったので、頼る親戚もいない東京で
ワーキングママをしながら、単身赴任が多かった父と
ほとんどワンオペで私と姉を育ててくれました。
今思うと、知らない土地で一人、時代的にサポートも少なくて、
本当に大変だったろうなと思います![]()
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母は教育熱心な人でした。
姉はもともと頭のいい人だったようで、親が満足する成績でした。
(成績はずっとオール5だったようです
)
一人目がそんなんだったのが、私にとっては不幸だったかも![]()
私が小学校高学年のときには、5つ離れた姉は塾に通っていたので帰りも遅く
母のエネルギーは全て私に向けられていました。
それなのに全然結果を出さない私に、プライドの高い母は我慢できなかったと思います。
いつもイライラしてました。
他に
成績が良くないという理由でその頃流行っていたファミコンを買ってもらえず![]()
漫画も買ってもらえませんでした![]()
(よく姉の漫画を盗み読みしてました)
高校生になってもお小遣いはもらえず![]()
(成績が悪いので、もちろんアルバイトもNGです)
高校は私服の学校だったのに、好きな洋服を買ってもらえることもなかったです![]()
(だいたいはお下がり、もしくは母の好みの洋服を買ってきてくれていました)
これをアウトプットしていて思い出しました![]()
友達とちょっとコンビニ寄るお金もなく、頼んでもお金をもらえなかった私は
いつしか、親の財布からお金を盗っていたのです…![]()
(これは本当に誰にも言えなくて、口外したこともない黒歴史です![]()
多分忘れていたのは思い出したくない過去だったからだと思います。)
ああ!
だから「過去に戻れるならどの時代がいい?」って質問に答える時に
私は「高校時代」とは答えられなかったんだ。
私の高校時代は、クラスにはほとんど友達のいない「ぼっち」だったのです。
成績もよくなくて、お金もなくて、好きな洋服も着れない私が、
どんどん自信をなくし下を向いてしまう原因がここにあったんだ![]()
今、気がつきました![]()
私の心の根底にある闇
それは
親の思うような成績をとれないという申し訳なささ
親のお金を盗んでしまっていた罪悪感
これらが私が親に
育児失敗
と思われているんじゃないかと思う不安感だったようです。
でもアウトプットしたモノを客観的に見て、
「成績なんていいんだよ、子どもは親のロボットじゃないんだから」
「お金だって、あんなに窮屈に縛り付けられてたら仕方ないよ」
「あなただけが悪くないよ」
「自分の後悔を開放して?」
とあの頃の自分に言ってあげたい。
私は見つけてあげられました![]()
私の中に隠れていた縮こまってビクビクしている小さい自分を。
これから、この子と一緒に成長していきたい![]()
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まず私がこの子と向き合って、
その後、この子と親を向き合わせようと思います。
それが出来たとき、本当の意味で
親からの呪縛から解放されると思うので
。
よーし!
まだまだやるコトはたくさんある!
これからはこの子と一緒に頑張ります![]()
長々と私の闇のアウトプットにお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
アウトプットする前はこんなにスッキリ
できるものだと思っていませんでした。
憑き物が取れた感じがします![]()
アウトプット大事です![]()

