最近になって近くの田んぼの稲が枯れてきた。
また別の意味での小麦色の景色が広がっている。
これを見て思うのは、稲は辛抱強いということ。
刈られて、茎の断面は風にさらされ水分は奪われ、刈られてから2ヶ月ほど放置された。
にもかかわらずまだ青い状態の稲は点在する。
なんてタフなんだ。
それを人間に対応させてみたらどうなるか。
2ヶ月も飲まず食わずで、朝も昼も夜も野ざらしで生きられるだろうか。いや、ない。
そうなると、人間の方が生物的に劣っているのか?と思ってしまうが、ここで僕はある説を唱えたい。
その生物が、
"必要とするエネルギー量"と
"寿命"
は反比例の関係にある。
という説だ。
(そこまでエネルギーを必要としなさそうだが短命なセミ、(思いつかないが)短命の植物は例外と考えられる、、)
この説に沿って話を拡大すると、「長生きする人は今まで省エネで生きてきた」という暴論が生まれる。
ただ、僕はこの暴論を推したい。
すなわち、今のうちからエネルギーをより多く消費しながら生き、命を燃やして最大パワーで生を全うしたい、という意思表明だ。
動物なら高エネルギーで生きていこうぜって話。