ここでは、慈悲ってのを、自分の内側からの光エネルギー(愛という人もいるかも)と呼んでいます。まぁ、ピースさんの受け売りですね(笑)。

一人でいるとき、身体の存在を感じていくようにして、光エネルギーを感じることも可能です(この場合、白っぽく感じることが多いです)。

でもそれは、私の場合、エネルギーの出力が弱いです。

で、別のやり方。

周りの誰かをそのまま見る(ただ観る)。

あるいは、周りの環境を、ただ見る。

すると胸の奥から力強く光エネルギーが湧いてくる。

最初は気づかなかったのですが、この胸の奥からのエネルギー、どうやらいくつかのタイプがあります。

穏やかで落ち着いたエネルギー

楽しいエネルギー

慈愛のような優しいエネルギー

力強いエネルギー(怒りに似ている)

大きくは、こんなです。
あと、入り混じっている時もありますね。例えば、落ち着いた力強いエネルギーとか。

そして、これはどうやら、私の魂がその時に選んでいるのでは…というのが私の考えです。

例えば周りにいる誰かを見て、落ち着いたエネルギーが湧いてきたら。

私の魂は、そんなエネルギー(の波長)を、その人に届けようとしている…なんでそのエネルギーがいいかは魂が知っている…私には分かんないですけど(笑)。

力強いエネルギーの場合は、凛として、毅然としているように力強くなってる感じかな。

私のやることは、そのエネルギーで私自身を満たしていること。

そのためには、私は、ただ見れるように、こだわりのない、執着のない、自由な状態でいること。

そのためには、また内観も必要かもしれないけど、ただ見れるようになるためには望むところだな…例え、そのときは苦しくても。

自分を慈悲で満たしたとき、それで周りにどんな反応が発生するか、共鳴するのかは分からないけど。

ただし物理的な法則だから、何がしかの変化はあるのだろう。


そしてもし、そんな満ちた状態から、そんな気持ちから言いたい言葉がでてきたら。

そのときは、それを伝えるのが、きっといいこと。

おそらく、頭で考えた言葉より、ずっといいこと。