ブログや本で、いろいろな人が自分の考えを伝えています。
このブログもそうですね。
で、前々から気になっていたのですが、それぞれ「自分が正しい」という視点がベースにありそうです…そりゃそうなのでしょうけど。
間違っていると考えていたら、伝えないでしょうから。私もそう。
で、確かに正しいのかもしれないのですが、言葉の問題?それとも価値観の問題でしょうか。
その正しい考えと異なる考えに、「そっちは正しくない」=「誤っている」=「悪い」っていう押しつけ、圧迫が混ざってしまうように感じています。
それぞれの視点っていうのがあるはず。
その時点で、その場のその人に適したものというのはあるにしても、一時の自分の視点を正しい、として表明した場合、自動的に自分以外の考えを悪いものとして、断罪しているように感じるのです。
そして、その正しさは、異なる考え、視点を持つ人を、知らず知らずのうちに圧迫し、断罪し、頭を押さえつけてしまう。
自分が正しい、と思うことで、周りにそんな影響を与えてしまっていると思います。
そんな状態を引き出す「正しさ」に、何か意味はあるのか?
それは、ほんとうに正しいのだろうか?
周りへの尊重が欠けた正しさは、傲慢なのだろうと思いました。
このブログもそうですね。
で、前々から気になっていたのですが、それぞれ「自分が正しい」という視点がベースにありそうです…そりゃそうなのでしょうけど。
間違っていると考えていたら、伝えないでしょうから。私もそう。
で、確かに正しいのかもしれないのですが、言葉の問題?それとも価値観の問題でしょうか。
その正しい考えと異なる考えに、「そっちは正しくない」=「誤っている」=「悪い」っていう押しつけ、圧迫が混ざってしまうように感じています。
それぞれの視点っていうのがあるはず。
その時点で、その場のその人に適したものというのはあるにしても、一時の自分の視点を正しい、として表明した場合、自動的に自分以外の考えを悪いものとして、断罪しているように感じるのです。
そして、その正しさは、異なる考え、視点を持つ人を、知らず知らずのうちに圧迫し、断罪し、頭を押さえつけてしまう。
自分が正しい、と思うことで、周りにそんな影響を与えてしまっていると思います。
そんな状態を引き出す「正しさ」に、何か意味はあるのか?
それは、ほんとうに正しいのだろうか?
周りへの尊重が欠けた正しさは、傲慢なのだろうと思いました。