ある人が、苦しんでいた。

だけど私は、その苦しみは、その人の課題と思っていた。

それは間違いではなかった。

だけど私はそうやって、乗り越えないその人の弱さを責めていたことに気がついていなかった。

「私は自分のことで精一杯!」

「苦しんでいるエネルギーを、私に向けるな!」

私には、実はそんな思いがあった。

なぜなら、私は苦しいのが本当に嫌だったから。

私は、自分が苦しいとき、他の人も苦しいということが見えなくなる。

まるで苦しいのは世界に自分一人だとでも思っているかのようだ。

苦しいのは自分だけではない…そんな思いが、ときに力を与えてくれるのを知っていたけど、私はそれがあまり好きではなかった。

なぜなら、それは私の苦しみをまっすぐ見ることからの逃避にも思えたからだ。

それなのに、他の人の苦しみに目を向けさせようとする思いが、私の心の奥にあるようだったのが不思議だった。

その思いは、普段は顔をださないけど、苦しみについて考えるとき、ヒョイっと(諦めずに)顔を出すことがあって、それは今回も顔をだした。

そして今回は、昔、悦月さんからもらったメッセージ(昔、ネームリーデングっていうのを受けた)を思い出した。

「…他の人の傷が自分の傷より大きいことに気づいたとき、人はそれを許そうとする。」

あー、そうか。
他の人を責めず、まっすぐ他の人の傷を見ることが必要なんだな。


そういえば、同じような時期にピースさんからコアソウルメッセージをもらったとき、「情熱を持って自分らしくいて、他の人の苦しみを味わえ」っていうのがあった。

これもやっぱり、苦しみを嫌がらずに(=愛でいる=自分でいる)、まっすぐ見るってことで、おんなじメッセージだ。


ふっふっふ…私は、ずっと前に、繰り返し答えをもらっていた。


さて。

私は、その人の苦しみを見つめてみた。

その人の苦しみから目を背けないように、嫌がる自分の気持ちを感じながらも、それでも見つめていた…これが、コアソウルが言ってた「情熱を持って自分でいて、他の人の苦しみを味わう」ってことだな。

…泣き叫ぶようなその人の悲しみが見えてきた。

そして、それを包むように、とても大きな静かな愛があふれてきた。