週末、久々に、『神との友情』を読んだ。
それも下巻から…手に取ったのが下巻だったので。

そこに、確かこんな風にあった。


『調和とは、その場、その瞬間のヴァイブレーションを感じ、それと混ざり合うこと。

調和とは、相手に合わせることではない(自分が闇に染まることでも、相手を光に変えようとすることでもない)。

調和とは、(自分は自分のまま闇と)一緒に歌うことだ。

一緒に歌うとき(混ざり合うとき)、新しい歌が生まれる…魂の歌だ。

その新しい歌で、周りは変化し、自分も変化する。

その変化は、愛の創造だ。

その変化を、見つめてごらん。』


私は書いてあったことに魅入られ、実際に混ざり合おうとしてみている。

実際に今朝、通勤電車や会社でやってみると、混ざり合おうとするとき、自分の魂の愛と周りの闇?の境目に、静けさが生まれているのを感じる。

あぁ、この静けさが『新しい歌』の始まりか…素晴らしいな。

その場と自分が愛に戻っていく。
魂の歌で変わっていく。

私のお腹のおたりから、静かな愛で満たされていく。

あぁ、愛を選ぶって、こういうことなんだな。

意図的でいるって、こういうことなんだな。

愛の創造って、こういうことなんだな。

私がやった『混ざり合う』は、受容という愛の在り方のひとつなんだろう。

このところ、苦しい日だったけど。
この発見は、いいことだ。