大きな闇は、大きな光に出会う前触れ。

大きな光は、大きな闇のないのころでは存在できないのだから。

闇に出会ったら、慌てずに自分の心の奥から湧き出る光を解放しよう。

ここは陰陽の世界。
闇は光を引き寄せ、光もまた闇を引き寄せる。

光を体験するには、闇を体験する必要がある。

闇は、光の前触れ。

自分の心に光の源があると分かっていれば、闇に対応する光が心の奥からやってくる。

大切なのは、やってきた闇を避けようとしたり、恐れや疑念の意識で光の通り道を邪魔しないこと。

私の場合、対人恐怖症のような感覚で心を閉ざしてしまいがち。この辺は、人によって違うのだろう。


光が人の心を通して湧き起こるとき、人は慈愛のプロセスを体験する。

それは、具体的にどんなプロセス?
結果的に何がどうなる?

その時その時で、きっと違う。
私には、あらかじめ分かっていない。

光がやってきたら、後は心のままに。
もし言葉が出てこなかったら、無言でもいいと思う。

光がやってきても期待どおりになるのか分からないが、コツは、「変えようとしない」こと。

変えようとするのは、何かを恐れ、避けようとする何かがあるからで、それは光の経路を閉ざしてしまう。

敏感な状態だと、何かを変えようとしているときの自分の心の波長と、そのままでいいとするときの心の波長の違いに気づくかもしれない。

変えようとするときは、ギュッと縮こまった波長。そのままでいいは、優しい波長。恐れのエネルギーと愛のエネルギーの波長の違い。簡単に言えば、例えば寛げるか、寛げないか。
寛いで、あるいは信じて、光の経路を開けておく。


心に光が起こっても期待通りになるかは分からないが、ならなくても、そこでは心の軽さを味わえる。あるいは、満足感を得られることもある。

どうやら、闇に出会ったときは、心から湧き起こる光との陰陽の出会いを起こすことよりよい道は、ないように思う。

生きるということは、自分の心の中で陰陽を体験することでしかないようにも思える。

人の心を通して陰陽が出会う物語が起こり、人はそれをダイレクトに間近で鑑賞している。