私は子供の頃、いわゆる「いい子」だった。

でもそれは、親への恐れと表裏一体だったと思う。

親は、幼い私を叩いても言うことをきかそうとした。
子供のためを思ってのことと思うが、そのため私はこう刷り込まれたようだ。

『言うことをきかないと、言うとおりにしないと愛されない。』

だから私は、いい子を演じているところがあった。
言ってみれば、演じるのはサバイバルだった。

だから今思うと、無条件の愛というのが体感的に長いこと分からなかったようだ。

スピリチュアルの無条件の愛を追求し、それを感じたりもしてきたけど、潜在的に刷り込まれた条件付きの愛=『言うことを聞けば愛される』は、そのまま残っていたようだ。


だから、人から(特に立場が上の人…両親とか上司とかから)間違いを指摘されると、素直に聞けなかったりする…なぜなら、自分はいい子でなければならないから。

いい子は、間違いをしてはならないのだ。
間違いをして怒られてはならない…愛されないから。完璧主義かな。

神々からのアドバイスにも、そんな風に従おうとした。そのとおりにやろうとした。

神の言うとおりにやれないと、申し訳ないと思い、謝りたくなって、許してほしくなった。

だけど最近、神々は、アドバイスとおりにしなくても、少しも裁かず私を愛しているのが分かった。

私は言うとおりにしていないのに!!

逆らったのに!!

私は、ハッとなった。
そうかこれが、無条件の愛か。

…ふっふっふ。
これが分かるために、これまでの条件付きの愛があったようだ。