今年の前半、職場には、すぐ怒鳴る人がいた。
私は、そういうタイプの人は苦手なはずなのに、なぜかその人に限っては苦手意識がなかった。
そして、怒鳴る人、圧力をかけてくる人は他にもいて、その人のことはやはり苦手だ。
何が違うんだろう?
この差はなに?
と思ったら、すぐに分かった。
苦手じゃない人のことを、私は信頼していたのだ。
苦手な人がいたり、あるいは自分の気持ちが落ち着かなかったり。
そんなとき、私は信じていないときだ。
なら、信じればいいのだね。
私にとって今年一番の進歩は、この『信じる力』に気づいたことかなと思う。
そして、このことに気づくには、これまでの強い不信が必要だったのだ。
苦手な人を前に、その人を信じることは、難しいかもしれない。
だけど、信じるってのは、別に無防備になって、正直になって騙されるとか、そういうことではない。
エネルギー的に、自分が相手を信じている。
あるいは、相手の魂、奥には必ずある善性を信じるということかもしれない。
相手のためではなく、自分が恐れから脱却するために信じるのだ。
長かったな、ここまで。
私は、そういうタイプの人は苦手なはずなのに、なぜかその人に限っては苦手意識がなかった。
そして、怒鳴る人、圧力をかけてくる人は他にもいて、その人のことはやはり苦手だ。
何が違うんだろう?
この差はなに?
と思ったら、すぐに分かった。
苦手じゃない人のことを、私は信頼していたのだ。
苦手な人がいたり、あるいは自分の気持ちが落ち着かなかったり。
そんなとき、私は信じていないときだ。
なら、信じればいいのだね。
私にとって今年一番の進歩は、この『信じる力』に気づいたことかなと思う。
そして、このことに気づくには、これまでの強い不信が必要だったのだ。
苦手な人を前に、その人を信じることは、難しいかもしれない。
だけど、信じるってのは、別に無防備になって、正直になって騙されるとか、そういうことではない。
エネルギー的に、自分が相手を信じている。
あるいは、相手の魂、奥には必ずある善性を信じるということかもしれない。
相手のためではなく、自分が恐れから脱却するために信じるのだ。
長かったな、ここまで。