ふと気づいたことがあった。

私は誰かとやり取りするとき、相手との繋がりを求めていたのだな、そう思った。

だから少しぐらいなら?相手に合わせてしまってでも、相手の笑顔や楽しさを重視し、それによってその場の明るさ、楽しさを最優先して相手との一体感を求めてきたのだ。

自分の本音を犠牲にしてきたのだね。

でも、人によっては、会話は、自分の表現を楽しむことを重視する在り方もあるでしょう。

それを最優先する人は、ときに、周りと合わなくて苦しんだこともあるかもしれない。

だけど、それに耐えて育んできたものは、きっと花開くと思う。

一方、私はこれから、自分を周りに合わせることで犠牲にせずに、自分を表すことを楽しくやっていくことになる。

そのときに私が乗り越えないとならないのは、自分の本心を表したら孤独になるのではないかという恐れ(自己不信)と、周りの人達への不信と、孤独はダメだという精神的な傷だ。