「この身体は、お借りしてるものだな。」

そう思っているときの気楽さ。

捕われのなさ。

許している状態。

ケイジさん流に言えば、周りに自由を与えている状態。

ジャッジのなさ。

押しつけのない状態。

おそらく、周りを活かしているだろう。

そのときの自分の、微細だけど確かに愛の波動。

ありのままってのは、ありのままでいようと意志の力を使うことではないね。

その力を使うとき、ありのままではない自分を否定している側面があるように思う。

ありのままっていうのは、動作じゃなくて、そういう状態を意味していて、そこに力みはなく、リラックスした状態のことですね。

ありのままでいようとしても、できないと思う。

いようとするところに、力みがあるから。

そういう力みが抜けたところに、ありのままがある。

たぶん、僕は、これでいいのだ。