六月 十九日 木曜日 夜

 ―1―

 誰かのすすり泣く声が、聞こえたような気がした。
 たった数日で三回目の予想外の覚醒を終える。
 他人に奪われた意識を取り戻すのも慣れたものだ。
「……慣れたくはなかったな」
 やや重い瞼を開いてみたが、視界は暗闇に包まれたままだった。
 もう夜になっていたのか、とも考えてみるが、この暗さはまた種類が違う。
 それにぼくの頬にはサラサラとした柔らかいようなこそばゆいような感触があり、やたらと石鹸の良い匂いが鼻孔をくすぐってくる。
 なんだこれは。
 眼が覚めたばかりで思考がまとまらないフリをしているが、悪いような良いような予感はひしひしと感じていた。
「……ん?」
 疑問符だけがついた呟きが聞こえて、視界が揺れる。
 視界が揺れているのではない。ぼくの視界を遮っていた、目の前の存在が動いただけだ。
「ああ、起きたのか」
 そいつはそう言って、緩慢な動きでぼくを拘束していた腕を解いて、上体を起こした。
 拘束。
 相手の首の後ろへと腕を回し、寄り添うように覆いかぶさることを拘束というならば、だが。
「おはよう、ひーくん」
 状況が理解できずに寝転んでいるぼくを見下ろして、心崎繋はそう言った。
 以前会った時と同じような無表情。だが、その切れ長の目尻から一筋、涙が伝うのをぼくは見てしまった。
 見なかったことにしたかった。
「ひーくんじゃねえって、言ってるだろ。ぼくには笹原寿って名前があるんだ」
 少女は驚いたような、何か衝撃を受けたような顔をする。
 おい、まさか。
 根黒のやつがぼくのことをひーくんとしか呼ばなかったから、それが本名だと思っていたんじゃないだろうな。
 ありえない。まともな日本人としての感性を持っているなら、ありえないことだ。
 だが、目の前の。ぼくの腹に跨ってぼくを見下ろしているこの魔法少女は、イラストの美的センスもカラオケの歌唱力も、まともな感性を逸脱している。
 ありえないことが、ありえるくらいには。
「それは、」
 少しだけ、がっかりしたような。
 期待を裏切られたような落胆を、眉根に見せて。
 しかしそれを悟られまいとするかのように、少女は言葉を紡いだ。
「それは、失礼なことをした。謝るよ、笹原寿くん」
「謝るなら、まずは退けよ。なんなんだこのご挨拶は。さっきは魔法の爆殺で、今度はマウントポジションからの撲殺か?」
 言いながら、先ほど魔法少女にやられたことを思い出して腹が立った。
 畜生、恩も喧嘩も売ったつもりはないが、すべて仇となってクーリングオフされた気分だった。
「そうだった」
 思い出したように手を打って、心崎はぼくの腹の上から立ち上がった。
 そしてぼくの目には古びた軒先を支える垂木と、特に美しくもない夜空が飛び込んできた。
 わずかにだが、見覚えのある場所だった。
「ここは?」
 思い出すのが面倒になって、上半身を起こしながら心崎に尋ねた。
「ここは、君たちが倒れていた場所から少し離れた位置にある神社だけど」
 なるほど。少女の言葉を聞いて、自分の記憶と目に映る物に合点がいく。
 ぼくの隣に鎮座する賽銭箱も、ぼくの頭上で微かに揺れている鈴尾も、全て見覚えのある物だった。
 恐らくここはぼくが昔通っていた小学校の近くにある、寂れた小さな神社のはずだ。
 まだ今ほどに捻くれていなかった頃に、放課後に遊んだ記憶がある。
 ぼくはその神社の正面の、賽銭箱の後ろに隠すようにして、寝かされていたのか。
「なるほど」
 一応は、生き残ったというわけか。
 まぁ、驚くほどのことではない。望んでいたことでも、無かった。
 また自己否定に走りそうになる思考を振り払って、ぼくは自分の体を確かめた。
 そこには、傷跡が一つもない、純真無垢を体現したかのような魔法少女の体があった。
「はぁ?」
 ぼくの視線の先の魔法少女の右手が開閉される。それは完全にぼくの意志に従って動いており、察するにその魔法少女の右手はぼくの体だということだった。
 右手だけじゃない。ぼくの視界に広がるそのフリルまみれの衣装に包まれた体全てがぼくの物だということだ。
「……おいおいおい」
 傷跡なんて残っていないはずなのに、頭痛がぼくを襲った。
 つまりこれは、ぼくの体がまた美少女になってしまっているということじゃないか。
「正直言って、驚いたよ」
 頭を抱えて蹲りたくなっているぼくの正面で、心崎が言った。
「意識を取り戻すまでは本当に君なのかどうか、確信が持てなかった。これでも数多くの魔法少女を見てきたつもりだけど、君みたいに変身前と変身後で完全に別人になる例は見たことがない」
 いつかの繰り返しのような少女の言葉は、この状況では何の慰めにもならない。
 変身……、いつだ? いつぼくはこの状態になった?
 記憶を辿ってみれば、思い当たるのはカマキリの怪物がその鎌の矛先を、気弱そうな魔法少女に向けた時のことだった。
 あの時ぼくは怒り狂って我を忘れ、馴染みのない言葉を叫んだ。
 それから嘘のように体が軽くなって、世界の『敵』の背後に迫り、その体を鉄パイプで貫いた。
『変身状態は馬鹿みてーに身体能力が跳ね上がる』
 あのカラオケボックスで、根黒はそんなことを言っていた。
 さっき見せたぼくの常識離れした運動能力はまさにその状態と合致する。つまりあの時すでにぼくは魔法少女に変身していたのだ。
 ボクハマホウショウジョニヘンシンシテイタ。
 我ながらこれほど頭痛を伴う一文もそうない。
「……綺麗」
 出し抜けに、心崎が呟くように言った。
「は?」
「私は、とても綺麗だと思うけど」
 眼前の少女の発言の意図が理解できない。
 慰めでもしているつもりなのか?
 分からないことはとりあえず保留だ。
「この状態の解除方法、あんたなら分かるんじゃないか?」
 とにかく、一瞬だって長くこんな姿でいたくない。
 ぼくは縋るような思いで、目の前の魔法少女の長に尋ねた。
 当の心崎はその凛々しい相貌を少しだけ残念そうに歪めて言う。
「私はそのままの君の方が良いと思うんだけど」
「いい台詞みたいにさらっとぼくの元の容姿を全否定するな」
 そりゃ冴えない平凡な容姿の少年よりかは、目を見張るような美少女の方が何倍も景観を彩るだろうが。
 当事者からすればここまで理不尽な話はない。
「魔法少女の変身に関しては、ある程度の練習が必要だけど。最初のうちは感情の大きな揺らぎによって自分の意志とは無関係に変身し、時間経過によって解除されることが多いよ。それを何度か経験してコツを掴むうちに、自由に変身できるようになる」
「つまり、今この瞬間ではどうすることも出来ないということか」
 吐き出すようなぼくの確認に、心崎は無言で頷いた。
 舌打ちをしたくなる気分だったが、悲しいことにここ数日の経験から、理不尽な展開には慣れていた。
 最悪に変わりはないが、変身が解けないくらいの状態は、まぁ、許容出来る範囲内だ。
 ため息を一つ、吐き出す程度に留めておく。
「……あいつは、どうなった?」
 思考を切り替えたぼくは、自分の現状から外に目を向ける。
「あいつ?」
 感情を押し殺した眼が、ぼくを見下ろした。
「ぼくと一緒にいた魔法少女だ。それと、ぼくたちを襲った世界の『敵』はどうなった?」
 あの時、魔法少女は魔法を行使した。自分の周りの血だまりを利用して。
 それはあのカマキリの化け物を消し炭に変えるには充分な力だった。少なくとも、ぼくもろとも爆殺せしめたことに目を瞑れば、一応の仕事は果たしたように思える。
 だが、その代償は高いはずだ。
 血を犠牲に、魔法を使う。彼女の流した血液は戻らない。
 つまり失血は死の危険性をともなう。
「あいつは生きているのか?」
 ぼくは博愛主義でもなければ、正義漢でもない。
 あの魔法少女の生死にこだわる理由などない。理由はないが、言いたい文句は腐るほどある。
 生きているに越したことはない。
「君が背理のことを気にかけてくれているのは嬉しい」
「はいり?」
「君が命を賭して救ってくれた、私たちの仲間のことだよ」
 心崎は鋭い相貌を緩ませて、自らの背後を指さした。
 言われて、少女の後ろを見れば、大人しい寝息を立てて眠る魔法少女がいた。
 変身状態は解けていて、地味の一言で片づけてしまえる服装に身を包んでいた。体を丸めてリラックスした胎児のポーズで横になっている少女は、蒼白を極めた顔色の他は健康体に見えた。
 昼寝でもしているかのように、その表情は安らかだった。
「……暢気なもんだな」
 いろいろ言いたいことはあったが、相手が寝ていたのでは意味がない。
 投げ出していた細い足であぐらを組んで、ぼくは頭をかいた。
 それになんだか、あの顔を見ていたら毒気を抜かれてしまった。
「背理のことも含めて、君には礼と謝罪を言わなければならない」
 ようやく本題に入れる、と言うかのように声を正して。
 心崎がぼくの前に座りなおした。
 いやに正座が似合う奴だ。
「別に、礼を言われることをしたつもりはない。ぼくが勝手にやったことだ」
「それでも、有難うと言わせてもうらけど」
「…………」
 ぼくは答えあぐねて押し黙った。
 どうにも、素直に感謝の気持ちを伝えられると居心地が悪い。ぼくの知り合いや根黒が相手なら、まだ感謝の気持ちに皮肉の一つでもつけてお茶を濁してくれたのだろうが。
 目の前に座る魔法少女は会話における変化球をあまり好まないらしい。
 客観的には褒められたことだろうが、思春期真っ只中の捻くれた性根の持ち主のぼくにとってはかなりやりにくい相手だった。
「礼は分かったけど、謝罪というのは?」
 話を進めるために疑問を投げかける。
 おおよその内容は見当がつくが。
「魔法少女と『敵』の戦いに君を巻き込んでしまったことだけど」
 心崎は申し訳なさからか、無表情のままに少し目を伏せた。
「『敵』が発生した場合、当番の魔法少女が討伐に向かって、保護係の円が君を安全な所まで避難させる。私たちはそのオペレーションに従って動いていたし、今回もそうなるはずだったんだけど」
 実際は根黒はあの時ぼくの近くにいなかった。
 ぼくも切羽詰っていたので確かなことは言えないが、あそこで根黒がぼくの呼びかけに答えていたら、ぼくがここで美少女の真似事をしている未来も変えられただろう。
「魔法少女の組織の詳しい事情は知らないが、何か不都合があったのか?」
「うん。君も相対して理解してくれたとは思うけど、今回の『敵』は少し手強かった。それで対応した魔法少女が戦闘不能になったから、手近にいた円が援護に出た」
「その戦闘不能になった魔法少女ってのは、背理とはまた別の奴か」
「そう。背理と二人組で行動していたんだけどね。円はその子を戦線から引き離してから背理と一緒に『敵』を倒すはずだったんだけど、その間に君が入ってきて、後は君が知る通り」
 なるほど。筋書きを理解してぼくは頷く。
 頷いたと同時に額から冷汗が流れた。
 なんか、心崎はぼくがあの魔法少女を助けたみたいに言ってくれていたが、あの時ぼくがいなくても根黒が来てくれていたのだ。
 そもそも、背理という少女があそこまで危機に陥ったのはぼくが原因だ。あの場にぼくがいなければ、背理は追い詰められながらももう少しカマキリ相手に時間を稼いで、根黒と合流することが出来ただろう。
 つまりぼくはあれか。
 勝手に友達が巻き込まれたと勘違いして首を突っ込んで、最悪のタイミングで割って入って味方側の油断を誘発し、魔法少女と自分を死の一歩手前まで追い込んで辛くも生還を果たしたというわけか。
 やべえ。そのまま死んでろよ。
 本当に礼を言われることをしてないじゃねえか。さっきの自分の台詞を思い出して死にたくなってきた。
「君がいてくれなければ、背理は円の応援が間に合わずに死んでいた。状況を聞くに、君一人なら逃げられる状況だったけど君は命がけで私たちの仲間を救ってくれた。だから有難うと言わせてもらうし、すまなかったと謝らせてもらう」
 そう言って、心崎は澄んだ瞳でぼくを見て、また頭を下げた。
 やめてくれ。その素直さはぼくに効く。
 先ほどとは真逆の居心地の悪さに耐え切れず、話題を変えることにする。
「……じゃあ、根黒がぼくたちをここまで運んだってことか。背理は動ける状態じゃなかったし」
「うん。『敵』の反応を見失った円は、気を失っている君と背理を私に引き渡してくれた。今はその『敵』の消息を追っている所だけど」
「なるほ――、って、あの怪物まだ生きてるのか?」
 あの爆発の真ん中にいて、生き延びることが可能なのか。
 いや、ぼくがこうして生きている以上、可能か不可能かで言えば一応可能なのだろうが。
 ぼくの場合は一回死んだようなものなのに。
「世界の『敵』についてもぼくは詳しいことは知らないが、あいつらも魔法少女みたいに超回復力を持っているのか?」
「そういう例がないわけじゃないけど、ほとんどの個体は普通に殺せば死ぬし。あの『敵』もそんな能力は持っていない」
 話し方にどこか曖昧な雰囲気を持つ心崎が、珍しく断言してきた。
「なんでそう言い切れる?」
「死体が残っていたんだ」
「死体?」
「そう。背理の魔法によって木端微塵にされた『敵』の死体が」
 いや、この場合、聞きたいのは死体の状況ではなくて――
「――死体が残っていたのなら、死んでいるんじゃないのか?」
 ぼくの当然の疑問に対して、魔法少女は首を横に振る。
「『敵』の存在は他の生物とは一線を画すんだけど。つまり具体的に言うと、世界の『敵』が死んだ場合、死体は欠片も残らない。霧のように消えてしまう」
 言われて、ぼくは思い出す。
 最初に出会った魔法少女、シロがモグラのような『敵』を消し飛ばした光景を。
 余りに華麗な登場だったから、『敵』が消滅するまでがシロの魔法だと思っていた。
「分かってくれたと思うけど。死体――というか部品かな、――が、残っていたということはまだあの『敵』が完全に消滅したということじゃない。おそらく背理の魔法を受ける前に本体のような部分だけ切り離して逃げたんだと思う。だから、円がその行方を追っていて、私が君たちの傍にいるんだけど」
 心崎の説明で、状況ははっきりした。
 結局、紆余曲折を経たが状況は最初に言っていた通りに落ち着いたということか。
 『敵』が出現して、魔法少女が迎撃に向かい、他の魔法少女がぼくを保護する。登場人物が多少入れ替わったし、その相関図も少し変動したが、そこに変更はないようだ。
 本来『敵』を討伐するはずだった魔法少女たちは倒れ、ぼくを保護するはずだった根黒円がその後を引き継ぎ、根黒の代わりを指揮官の心崎繋が務める。そして、本来無傷で助かるはずだったぼくは、余計なことをした報いとして美少女となってここにいる。
 最後だけ納得はいかないが、文句を言ったところでどうしようもなさそうだ。
 とにかく、経緯と現状は説明してもらえた。それだけで、何も分からずに振り回されるだけだった状態からは大分前進した気がする。
 気が抜ける状況ではないが肩の荷が下りたような気持ちになって、ぼくは賽銭箱にもたれかかった。
 心崎も説明が済んで一段落したのか、ずっと維持していた正座を崩して足を伸ばす。そのまま優雅に伸びをしている所を見るに、別に足が痺れた訳ではなく単純にストレッチが好きらしい。
「円のことなら心配はいらないよ。あの子はああ見えてすごく優秀だし」
「……そうなのか?」
 ポツリと零された心崎の呟きに、ぼくは半眼で返した。
 特に喋ることが無かったから、共通の知り合いの話題に触れたのかしれない。
 少なくとも、ぼくの頭の中をどれだけ探しても『根黒に対する心配』などという言葉は一欠片も見つからない。だからぼくの顔にそれが出るわけもなく、それを察して心崎が話すはずもない。
「ぼくはてっきりあいつが人格的に破綻しているから、半端者の警護なんて厄介事を押し付けられているのかと思っていたが」
「人を守るというのは誰にでも出来ることじゃないよ。自分の身を守る以上の力が必要だからね。私が円に君の保護を任せたのは、その力があると思ったから。実際、私も含めて魔法少女たちはあの子に助けられてきたからね」
 意外な一面を知れたが、嫌な奴の『実は良い奴だった話』なんて興味深く聞けるわけがない。
 ぼくはどういうリアクションを取れば良いか分からず、曖昧に頷いておく。
「特に背理だけど」
 そう言いながら、心崎は背後を振り返った。
 当の魔法少女は相変わらず、幸せそうな寝息を立てていた。
「今回は君に命を救われたけど。この子が死にかけることは珍しくないから、その度に円が助けに入っていたんだ。勿論、魔法少女である以上助けたり助けられたりは当たり前なんだけど」
「へぇ」
「だから、君や背理は殺されかけたから理解し難いとは思うけど。手強いとは言ってもあれくらいの『敵』が一体だけなら、円に任せておけば大丈夫」
「はぁ」
 ぼくは吐息とも返答ともつかない声をあげる。
 根黒を随分信頼している、と言うよりかは、背理という魔法少女のことをあまり評価していないように聞こえる。
 まぁ、ぼくも出会って数分でマジ切れさせられたので人のことは言えないが。
「背理は私たちの中では一番新入りなんだ。三年くらい前かな」
 ぼくの内心を察したのか、言い繕うように魔法少女は言葉を重ねた。
 三年。その言葉にぼくは返事をし損ねる。
 十七歳のぼくからすれば、それは随分と長い年月に感じられる、と同時に。
 その、心崎の、事も無げな物言いが、過ごしてきた時の隔たりを感じた。
 俗に言うジェネレーションギャップ。世代間相違、のようなもの。
 それは心崎を最初に見た時も覚えた違和感だった。
「背理はまだ魔法少女になりたてだからしょうがないけど。魔法も制御できないし、『敵』と戦う前も緊張でもどしてしまうし、魔法に頼らない格闘も苦手だし、『敵』を相手にした探知も全然ダメだけど」
「いや、もう『だけど』でフォロー出来る限界を超えてるだろ」
 薄々気づいていたけど。
 ぼくの言葉に、目の前の魔法少女は薄く笑う。その表情に虚を突かれてぼくは心臓が跳ねるような衝撃を覚えた。
 そういえば、こいつが笑ったところを初めて見た。
「だけど、背理は魔法少女の仲間になった」
 少女の眼がぼくを見る。
 侍のような、日本刀のような、刃のような、射抜くような双眼。
 それは笑っていたとしても、変わるような物じゃない。
「たとえ何も出来なくても背理は私たちの為に何かをしようとしてくれる。私たちだって出来ないことでも背理の為ならやってみせる。君が背理を助けてくれたように」
 だが視線の鋭さの中には、親愛があった。
「私は、君もすでに魔法少女の仲間になっていると感じているけど?」
「…………」
「君もそう考えてくれていたら嬉しいな」
 ぼくは答えに窮して、心崎の後ろで眠っている少女を見遣る。
 暢気な寝顔は助け舟を寄越したりはしない。
 ああ、そうだ。分かっている。
 窺うような心崎の言葉はぼくの返事の催促だ。言葉そのものに対する答えはどうしようもなく決まりきっているが。
 ぼくは根黒や心崎や背理やシロのことを、信頼すべき仲間だとは思っていない。それぞれ個人に対して好意や敵意は抱いているが、関係性が未だ漠然としすぎていている。
 だから、仲間だと思っているかと聞かれたらノーと言わざるを得ない。
 しかし、今為されている呼びかけはそんな単純なものじゃない。
 ぼくは魔法少女の仲間にならなければ生存できない。
 今回の件で再確認出来たことだが、やはり『世界の敵』は強大だ。ぼく一人ではあのカマキリとの戦いのように嬲り殺されるのが目に見えている。それだけならまだ良いが、周囲の人間を巻き込んでしまう恐れがある。
 狙われている中で生き延びたいのならば、狙いを分散させなければ。同じ魔法少女の群の中に紛れれば、ぼく一人で『世界の敵』と戦うことはなくなる。更に魔法のことや変身のことを教えてもらえれば、ぼく自身も『敵』と戦えるまでには強くなれるかもしれない。
 他に道はない。
 今は仲間とは思えないが、それは会って間もないからだ。新学期に新しいクラスに馴染めるか不安で憂鬱な気持ちになる現象と一緒で、ネックは時間が解決してくれる。
 そこまで分かり切っているのに、ぼくは答えを出せない。
 引っかかった、最後の糸が解けない。
「なぁ、心崎繋」
「うん、なに?」
 沈黙していたぼくに思うところがあったのか、心崎は素直に先を促した。
「一つ疑問に思ったんだけどさ。教えてくれないか?」
「答えられる範囲だけど、いいよ」
 安心してくれ。その範囲には留まっているつもりだ。
 ただ、教えてもらった範囲ではないが。
「魔法少女って、なんで死なないんだ?」
「ん? それは前に教えたと思うけど――」
「ああ、いや。『救世主』の血が、って話なら覚えている。そうじゃなくてさ、なんで殺しても死なないんだって話」
「質問の意味がよく分からないんだけど。結局同じことじゃないの?」
 不思議そうな顔で心崎が首を傾げる。
「違うんだよ。血で回復すること自体は理解できるが、生物である以上全身を焼かれたり、体を真っ二つにされたり、脳を潰されたりしても死なないのはどうにも納得できないと思ってな」
 回復とは、危機的状況から復帰することだ。
 死んだ状態を危ないとは言わない。その状態は危険が終わっているからだ。
 死んだ状態から健康状態に戻ることを回復とは言わない。それは単なる蘇生だ。
 蘇生。死体を、生きてる状態に戻す。
 死んでも戦い続けるゾンビのような兵士として。
「そこであんたが言った『敵』の存在は他の生物とは一線を画すという言葉で思いついたんだ。ぼくたち魔法少女もそういう存在に成っているんじゃないかって」
「…………何が言いたいの?」
 心崎にぼくは告げる。
 自分の中で確信を持った言葉を。どうか、誰か否定してくれと願いながら。
「魔法少女が死なないのは、すでに死んでいるからなんじゃないか?」

 

つづく

 六月 十九日 木曜日 放課後

 

 ―6―

 

「あら、お帰りなさい」

 …………一つだけいいか?

「好きなだけ言えば良いじゃない」

 どうしてぼくの考えていることは何一つ思い通りにならないんだ?

「……そうかしら?」

 そうだ。

 平和に、後悔なく生きたいと思った。でもそうはならなかった。

 だから仕方なく、後悔しないように死のうとした。でもそうはならなかった。

 せめて邪魔する奴らを排除しようとした。でもそうはならなかった。

 どうせ今の爆発でも、ぼくは意識を奪われただけで、死んでなんかいないんだろ?

「死、ね。大概、全身を焼かれて心臓が止まったら、人はそれを死と呼ぶと思うけど」

 それは一般的な人間の話だろ。

「あら、分かっているじゃない。魔法少女と人間の根元的な違いが」

 分かってたまるか、くそったれ。

 殺されても死なない体のことなんて、事実に対する理解だけで十分だ。理由や概念なんて、分かるわけがない。

「そのうち分かるわ。説明役には不足していないでしょう?」

 説明役のやる気は不足しているようだがな。

「やる気は引き出してあげないと。どのみち、『敵』とも出会ったのだから、時間の問題よ。魔法少女にとっての死が何を指すのか、教えてもらえばいいわ」

 ふん。まぁ、どうでもいいさ。

 死について深く考える時期なんて、中学生で修了している。

 ぼくにとって生とはどこまでも後悔が付きまとうもので――

「――ああ、取り返しのつかない後悔をするくらいなら死んだ方がマシって話ね」

 そういうこと。

 大体、命よりも大切なものを守れなかった後の人生なんてロクなものじゃない。

「ふふふ、まぁ、命よりも大切なものが何もない人生だって大抵ロクでもないじゃない」

 確かにそうかもしれない。

「それなら、今回の件はどうなの?」

 ん? なにが?

「あなたの後悔の話よ。名前も知らない女の子のために体を張って、邪魔されて、あげくには殺されちゃったわけだけど。後悔しているの?」

 …………いや、どうだろう。

「曖昧なのね」

 していないと言えば、嘘になる。

 そもそも友達が危険かもしれないと思って首を突っ込んだことが良くなかったし、世界の『敵』と魔法少女の戦いに割って入ったことも間違いだった。

 後悔してもしたりないくらい反省点はたくさんある。

 だけど。

「だけど?」

 別に取り返しのつかない失敗じゃない。

 今日ぼくがした後悔は、次に活かせることが出来る。

 それに、あの魔法少女には腹が立っているけど、悪い気分じゃない。

「ふぅん。ひーくんにしては随分と前向きね」

 ぼくだって常に後ろ向きなわけじゃないさ。

「そうね。たまには前に向かって後退することもあるわよね」

 それはただのバック走だ。

「ふふ。あ、そろそろかしら?」

 ん、ああ、そろそろ起きる時間か。

 憂鬱だけど、仕方がないな。

「そういえば、ねえ、ひーくん?」

 そろそろそのひーくんはやめろ。

「ひーくんはひーくんじゃない」

 その言い訳、流行ってんのか?

「ふふふ。じゃなくて。最初の質問にだけ、答えておくわ」

 最初……、ああ、なんでぼくの思い通りにならないのか、って話か。

 別に質問のつもりはなかったんだけどな。

「疑問を解消してあげる。ひーくんの人生がひーくんの思い通りにいかないのはね、誰かがひーくんを自分の思い通りにしたいからよ」

 自分が上手くいかない時は他人が上手くいっているって……、そんな単純な話か?

 トランプゲームや麻雀なら分かるけど。

「ひーくんはトランプよりかは単純でしょう。だから魅力的なのよ」

 ぼくの魅力はもっと他にあると思いたいな。

 とりあえず、お前が言うならそうなのかもな。

 ぼくが魔法少女にされたことも含めて、何かと面倒なことが起きていることは確実だ。

 精々後ろ首をかかれないように気を引き締めておくよ。

「ひーくん、浮気したら許さないからね」

 …………あほか。

「私以外の思い通りになっちゃダメよ」

 お前の思い通りにもならねーよ。

 

 

つづく

 六月 十九日 木曜日 放課後

 

 ―5―

 

「行くぞ、化物。出来れば油断してくれよ」

 自分に鞭打つように告げて、ぼくは拳を構えた。

 相対するカマキリも、値踏みの方は終わったようだ。

 あの小さい頭でどんな結論を導き出したのかは分からないが、放っておけば死ぬ獲物よりも、元気に向かってくる獲物を優先することにしたのだろう。

 ぼくに応じる様に構えられた二対の鎌からは、たった一つの明快な意思が読み取れた。

 それは殺意だ。

 奇遇にもぼくも同じ意思に至ったところだった。追い詰められた末に絞り出した結論だったが。まぁ、窮鼠が猫を噛むというまぐれもたまには起きてくれるだろう。

 投げやりにヤケクソを掛け合わせたような心地で、ぼくは足を前へと進めた。

 とにかく、奴の足元に少女が倒れているという配置を覆さなければならない。気まぐれで止めを刺されるようなことがあっては、ぼくがここで気張る意味がなくなってしまう。

 魔法少女が倒れている血溜まりをジャンプで飛び越える。跳躍した瞬間には既にカマキリの刃の届く範囲に入っていた。

 世界の『敵』は飛び込んでくるぼくを待ちわびて、左右の鎌を大きく広げる。

 分かっている。無事に着地をさせては貰えない。

 だから飛び込むまでだ。

「う、ぉらぁっ!!」

 渾身の力を込めて飛び蹴りを放つ。狙いは奴の右の肩口。

 抱擁するかのように左右の刃がぼくに迫る。全身の毛が逆立つほどの恐怖に襲われるが、ここで腰が引けたらただの生き餌に成り果てる。

 靴の裏に硬い感触。飛び蹴りがカマキリの右肩に食い込んだ。関節の動きが阻害されて、左側から迫っていた刃が停止する。

 第一の課題はクリア。だが右から来る鎌という第二の課題は、なおもぼくの胴体を狙っている。

「づ、くっそ――!」

 カマキリの肩を足場にして、強引に上体を捻った。全身が攣りそうになりながらも回転を加え、無理やり滞空時間を稼ぐ。

 風切り音とともに、容易に人を殺す世界の『敵』の一撃が、宙に浮くぼくの下方を通過した。

 躱した。なんとか躱し切ってみせた。

 身体が触れ合うほどの間合いは不利と判断したのか、カマキリの四本足が後退を選択する。四足獣の姿勢で床に着地しながら、ぼくはそれを見送った。

 成功だ。背後で倒れている魔法少女の弱々しい呼吸を確認する。

 なんとか、少女からカマキリを引き離すことに成功した。それが最初の問題にして、最大の難関だったが、なんとか上手いこといった。

 自分を褒め倒してやりたい気持ちを堪えて、ぼくは少し距離を置いた『敵』を睨みつける。

 カマキリの姿をした化物は、先ほどの交錯でぼくを殺せなかったことが悔しいのか、鎌を忙しなく擦り合わせていた。

 次こそは殺す、という無言の圧力に感じられて、鳥肌が全身の表面を駆け巡る。

 正直、勝てる算段は思い浮かんでいない。

 さっき全身を刃の危険に晒して突っ込んだ時もそうだった。もっと安全で有効な手が他にあったのかもしれないが、考える時間が余りにも足りない。

 怪我人が控えているという事実が、ぼくを焦らせる。実際以上に時間が切迫しているように感じられる。

 カマキリと少女の間に割って入ることで不利に過ぎる配置は覆したが、それでもぼくが追い詰められている事実は変わらない。

 『敵』の地面に触れている四本足が動いた。中々動かないぼくに痺れを切らしたのか、強烈な速度でこちらへ向かってくる。

 一瞬恐怖が顔を出し足がすくむが、すぐ後ろに倒れた少女がいる位置で迎え撃つわけにはいかない。ぼくも地面を蹴って前に出た。

 カマキリの大顎が開かれて、金属板を掻き毟るような耳障りな声があがる。雄叫びのつもりか。

 今度は鎌が大上段に振り上げられる。喰らえば、ぼくの体は綺麗に左右に切り裂かれるだろう。

 防御は不可能。カウンターなんて論外だ。脳天に焦げ付くような殺気を感じて、ぼくは全身の力を回避行動に総動員させる。

 カマキリの鎌の間合いに入った瞬間、前方へ向かっていた足を急停止。受け身も何も考えずに、右側へ跳ぶ。

 その直後、ぼくの残像を断ち切るかのように、カマキリの刃がコンクリの地面に突き立った。

 硬い建材を粘土のように扱う怪力に、寒気がする。ぼくは跳躍の勢いのまま地面を転がりながら、ますます勝てる見込みのない事実の確認をしていた。

 『敵』の複眼は、横へ逃げるぼくを見逃さない。

 巨体からは考えられない速度でカマキリは振り返り、床に突き立った鎌を跳ね上げた。

 横薙ぎの軌道をもった刃は、ぼくの逃げ足を遥かに超えた速度で首元に迫る。

「っく――」

 流石に、避けられない。

 咄嗟に仰向けに倒れてやり過ごそうとしたが、逃げ遅れた鎖骨が鎌の切っ先に捉えられた。

 枯れ枝が砕かれるような音を体内で聞いて、カマキリの怪力に晒されたぼくの身体が吹き飛ばされる。

 野球ボールになった気分だった。

 化物の怪力に晒されたぼくの体は、勢いよく数回床をバウンドしながら工場の内部を横切り、大昔の処刑のような姿で壁に強く叩きつけられる。

 コンクリに背中を打ち付けられる轟音とともに、工場全体が軋む音が響くが、肺の中の空気と一緒に血を吐きだしたぼくには、それを聞いている余裕はない。

 悲鳴すら、あげられなかった。呻きとも喚きともつかない濁った苦鳴だけが、口から絞り出される。

 ズルズルと、ぼくの身体が重力に従って、壁に付着した汚物のように床に落ちた。同時に鉄パイプの束が床に転がる耳障りな金属音が辺りに響いた。

 一撃。

 たった一撃。それも直撃ではなく、切っ先が掠めただけでこのざまだ。

 余りの戦力差に、絶望を超えて感心をしてしまう。

 ぼくは壁にもたれかかった姿勢のまま、前方に目をやった。激痛と脳震盪で視界は揺らいでいるが、世界の『敵』の姿はよく見えた。

 二本の鎌を油断なく構え、巨大な複眼でぼくを睨みつけている。

 下手に間髪入れずに追い打ちをかけるのは危険と判断しているのだろうか。意外と用心深い性格をしているのかもしれない。

 立ち上がれと、脳が命令を告げる。このままでは不味い、そのうち奴がトドメを刺しに来るぞと、当然の事実を教えてくれる。

 分かっている。分かっているさ。

 でも立ち上がってどうする? トドメの一撃を回避してその次は?

 今の攻防で、全部分かったはずだ。ぼくが奴に対して、優っている部分が何一つないことは。

 容易に人を両断する二本の刃。異常なまでの反応速度と、それに応じる素早い挙動。安定して大地を踏む四本の足。全体重を預けた飛び蹴りを受けても微塵も揺るがない体幹と、打撃を寄せ付けない強固な外骨格。ほぼ死角を持たない複眼と、獲物を噛み切ることだけに長けた大顎。そして、弱った獲物を前にしても一切の隙を見せない狩人の思考。

 そりゃそうだ。本来カマキリは奴の十分の一以下の大きさで、それでも熾烈な生存競争に負けないように現在まで進化を遂げた存在なのだから。

 そんな生物を相手に、ちょっと人間同士の喧嘩に慣れただけ、ちょっと身体能力を底上げされただけの脆弱な哺乳類が、勝てる訳がない。

 だからぼくに、その次などない。

 戦闘機に対して竹槍で挑むようなものだ。戦力差の開きすぎた両者の間で、戦闘など成立しないのだ。

 壁に叩きつけられた際の傷は徐々に癒えていたが、その事実をまざまざと見せつけられてしまったがゆえに、ぼくは立ち上がれない。

「分かり、切って……いたんだ、よな」

 こうなることは。

 始める前から、見飽きた番組の再放送を眺めるように。

 それでも逃走を選べなかったのは、ぼくの弱さだ。後悔しながらでも生きていく道を選べない、潔癖に似た脆弱性だ。

 ぼくは低い喘鳴を吐き出す。

 自分の中の譲れない何かを守ろうとした結果の、敗北。やる前から負けの決まっていた勝負に挑んだ末の、情けない結末。

 一矢報いることもなく。一つとして誇ることもできないこの現状に至っても。

 それでもぼくは悪い気分じゃなかった。

 全くもって後悔する気にならない。

 後悔しないまま死ねるのなら、ぼくはぼくの人生が幸せだったと嘘偽りなく断言できる。

「ぅ、ぁああああ!!」

 その時、悲鳴が聞こえた。

 ――違う。それは悲鳴じゃない。覚悟を決めた人間の雄叫びだ。

 とにかく、それは。今にもぼくに飛び掛かろうと四つの脚を畳んでいたカマキリの、背後から聞こえた。

「お前、の相手はわたしだ……!!」

 化け物が振り返った先にいたのは、血溜まりに沈む魔法少女だった。

 時間経過で回復したのかと期待するが、彼女の体は相変わらず二つに分かれたままで、蒼白を極めた顔色も周囲に散らばる臓物もさしたる変化はなかった。

 ただ、世界の『敵』を睨みつけるその眼だけが、殺意によって燃えていた。

「その人から、離れろ」

 魔法少女は手を伸ばす。

 縋るように。

 祈るように。

 殺すように。

 脆弱な一般人を、化け物の脅威から救い出すために。

「……馬鹿か」

 ぼくは座り込んだまま呟いた。

 分からなかった。理解できなかった。

 何故ここで声を上げた?

 話せる力が残っているなら。動ける力が残っているなら。その力を総動員させ、ここから逃げ出せば良かったのに。

 それが出来ないのなら、少しでも長く生きるために黙って死んだふりをしていれば良かった。

 ひょっとしたらカマキリの奴が気まぐれを起こして、ぼくを殺して満足し、この場を去っていたかもしれないのに。

 そうすればぼくは後悔なく死ねたのに。

「■■■、■■……」

 少女の口から言葉が漏れる。

 それは聞き覚えのある、しかし耳に馴染みのない呪文のような言語だった。

 少し前に聞いた、シロという魔法少女が口にした言葉によく似ている。

 確かシロがその言葉を口にした直後、魔法のような出来事が起きた。

「ッ!」

 恐らく、ぼくが状況を理解したのは怪物が危険を察知したのと同時だっただろう。

 カマキリの化け物は虫の息だった少女を不可解そうに眺めていたが、弾かれるように彼女に向き直ると再び四つの脚を折り曲げた。

 ぼくから魔法少女へと、優先順位が書き換えられたのだ。

 少女が今からやろうとしているのは、魔法の発動だ。救世主に与えられた力である魔法は、世界の『敵』にとっても十分に脅威足りえるのだろう。

 皮肉なことに、そのために必要な血液は、魔法少女の周りに『死ぬほど』散らばっている。

「■■、■■――」

 だから怪物は、それを止めるために少女を狙う。

 当然だ。接近して鎌を振り上げて、そのまま振り下ろせば命の危機が解消されるなら、誰だってそうする。

 言ってしまえば、それさえ済ませれば何でもない脅威なのだから。

 だから、だからこそぼくは。

「……ッ馬鹿かお前は!!」

 ぼくは激昂した。

 恥も外聞もかなぐり捨てて喚いた。

 頭に血が上っているのが分かる。顔はきっと真っ赤だろう。叫んだ際に泡が飛んで、口の端に涎が伝う。

 だが知るか。

 知ったことか。

「それは今やるべきことじゃないだろ!?」

 ぼくは疑問を口にする。

 魔法が使えるなら、ぼくが『敵』にやられている時に。『敵』がぼくにトドメをさして油断している時に使うべきだった。

 今現在のように発動に時間がかかるものだったなら、なおさらだ。

 わざわざ注目を集めてから使おうとしても、発動する前に殺されて終わりだ。

 現実は、子供向けの番組のようにはいかないんだ。誰もヒーローの変身を待ってくれなどしない。

 分かっているだろう?

 分かっていないのか?

 なんで分からないんだ?

 分かってくれよ!

 折角、気分良く死ねる機会だったんだ。

 後悔しないまま終われそうだったんだ。

 なのに、なのにお前に目の前で死なれたら台無しだ。

 ぼくの崇高な理想を、お前の非合理なヒーロー願望で汚すなんてありえない。

 ありえてはいけない!

「■■■■!!」

 怒り狂うぼくの口から飛び出したのは、名状しがたい言語のようなものだった。

 その言葉が世界を揺らした瞬間、ぼくの視界が光り輝いた。

 違う。光っているのはぼくの体だ。

 構うものか。関係ない。目の前で馬鹿が化け物に串刺しにされそうになっているんだ。

 全部止めて、全部殺してやる。

 ぼくはもたれかかっていた壁に背中を叩き付けて、反動で前に出た。背後でコンクリートが瓦解するような音が聞こえたが、気にしない。今のぼくには必要ない。

 一歩、二歩。魔法少女へと迫る世界の『敵』に、ぼくは走る。走りながら足元に落ちている鉄パイプを一本拾い上げた。

 追いつくのは簡単だった。あれほど素早く、強烈に感じられたカマキリの動きが、今は緩慢極まりなく感じる。『敵』よりも何倍も何十倍も自分が速くなったような気分だった。

 実際そうなのかもしれない。だがそれも今のぼくには必要のない情報だ。

 カマキリの背中は実に無防備だった。狩る者とは獲物を狩る瞬間が最も無防備になるらしい。世界の『敵』だろうと例外ではないようだ。死なない少女に死を与えるために振り上げられた鎌は、今振り下ろされんとしていた。

 関係ない。その前に殺すだけだ。

 ぼくは無造作に鉄パイプを前に突き出した。

 何の変哲もないその凶器は、ぼくの狙い通りに正確に空を引き裂いて、そしてカマキリの胸部の中央を貫いた。

 標本のように縫い止められて、化け物の動きが止まる。

 鋭利な鎌が苦鳴の象徴のように何もない空間を掻き毟る。

 金属音に似た絶叫がカマキリの大顎から絞り出された。

「き、……もち悪ぃな、おい……!!」

 その苦痛を逃がすような悲鳴も、鉄パイプから漏れる赤色の血も。

 まるでぼくたちと同じ生き物かのように出してくれるじゃないか。

 関係ない。必要ない。興味ない。

 一切合財の遠慮なく、有象無象の区別なく、殺すだけだ。

「■■■■!!」

 少女の口が、魔法を告げた。

 ようやく尺つなぎのように長い呪文詠唱が終わったらしい、と。

 さっきまでの怒りを忘れて、半ば安堵の感情をぼくは抱く。

 その瞬間。

「――は?」

 爆光が、ぼくを襲った。

 いや、正確にはぼくと密着する位置にいた『敵』を襲ったのだろうが。

 その光と暴力の前では二メートル程度の虫の存在など、文字通り羽虫ほども意味はなく。

 ぼくは、魔法少女が放った爆発に似た現象を引き起こす魔法によって蹂躙され――

 ――今日二度目の死を与えられた。

 

つづく

 六月 十九日 木曜日 放課後

 

 ―5―

 

「あっ」

 最期の言葉にしては余りにも呆気ない、息遣いのような声を残して。

 少女の上半身が工場の床に落ちた。湿った生ゴミが立てるような音が、ぼくの鼓膜を揺らす。

 思わず漏らしそうになる悲鳴は、唇を噛み締めてなんとか堪えた。そうしなければ、次のぼくの口から吐き出されるのは反吐と命乞いだっただろう。

 上半身を失った下半身がその均衡を失ってゆっくりと倒れた。血溜まりにさらに大量の血と内臓がぶちまけられる。

 人だとか。女だとか。そういった尊厳が全て踏みにじられるような、吐き気を催す光景だった。

「ぐぅ、うう……」

 ぼくは声を殺して呻く。

 強く噛み締めた唇から血が漏れて、顎に流れる。呼吸が恐怖と吐き気で浅く、早くなっていることが知覚出来た。

 だが、どうすることも出来ない。倒れ伏した状態から指先一つ動かせないまま、少女の死に様から目が離せない。

 人の死など、見たことがなかった。

 血液がこんなにぬめりを帯びていて、凄惨なほどドス黒いなんて。内臓があれほど柔らかくて弾力に富んでいて、不気味に光沢しているだなんて。

 人が死ぬ様が、ここまで呆気なく、無様で醜悪だなんて。

 知りたくなかった。

 呆然とするぼくをよそに、金属音が空間を走る。

 それは魔法少女の背後にいた白い巨体が、彼女を惨殺せしめた巨大な刃を一度大きく打ち鳴らす音だった。

 ぼくはやっとの思いで、少女から目を逸らして白い影を目視した。

 それは巨大なカマキリのような姿をしていた。

 しなやかな、機能美に富んだフォルム。逆三角の頭部。後方まで見渡せる二つの複眼。発達した大顎。全てがまるで戦うために作られた機械のような力強さがある。

 最大の特徴である前肢の鎌は、既存の昆虫とは違いギザギザとしたトゲはなく、研ぎ澄まされた二対の日本刀の如き見事な刀身を晒していた。

 体長は二メートルに届くかといった巨大さで、体色は真冬の深雪と同じ白色。

 魔法少女の宿敵である世界の『敵』に、間違いない。

 カマキリの表情は分からない。どころか、その複眼がどこに向けられているのかさえ、分からない。

 ただ勝利の喜びに浸るかのように、血溜まりの前で刃を打ち鳴らしていた。

 奴の目に、少女の血に染まってなお動けないでいるぼくの姿はどう映っているのだろうか。偶々落ちていたボーナスの獲物か、それとも次なる血の仇か。

 どちらにせよ、この場を切り抜けなければぼくも目の前の魔法少女と同じ運命を辿ることになる。そのためにはまず起き上がらなくてはならないが、未だにぼくは呼吸すら満足に行える状態ではなかった。

 分かっていた。いや、分かっているつもりだった。

 魔法少女は変身していた。あのドレスは戦闘状態を示すと、教えられた。そして、吹き飛ばされて壁を突き破ってきたということが示す劣勢。

 強敵と戦闘中だということは明らかだった。

 突然死にかけたことや、少女が坂奈じゃなかったこと。接触の仕方が常識外だったことに気を取られて、背後に迫る危険を忘れていた。

 救いようのない馬鹿だ。

 せめて、ぼくが気をつけてさえいれば、この少女は――。

 いや、違う。落ち着け。

 ぼくはまだ一般人だ。被害者だ。巻き込まれただけの元人間で、保護されるべきか弱い存在だ。

 あの事態に対応なんて出来るわけがない。そんな無茶を期待するのは筋違いもいいところだ。

 だが。それでもぼくが。

 選択を。

 日常を。

 もっと早くに。

 決断していたら――

「逃、げてくだ、さい」

 血溜まりから、声。

 深みに嵌りそうになる思考を振り払って視線を向ければ、上半身だけの少女がぼくを見ていた。

 視覚を疑いたくなるほどの、驚愕の光景だった。

 魔法少女の回復力と生命力は知っていた。身を持って体験させられたこともある。しかし、それがまさか身体を分断されて、血と内臓のほぼ全てを床の上に広げても生きていられるほどのものだったとは。

「……おいおい」

 吐き気を、催す。

 何が救世主の祝福だ。どう見てもこれは悪魔との契約の末路でしかない。

 呪いのような残酷な状態で、少女は生きながらえていた。

 だがそれも、虫の息だ。吐息のようなか細い声で逃げろと告げた少女は、今や蒼白となった顔を対照的に真っ赤に染まった地面に預けて、弱々しい呼吸を連続させていた。

 虚ろな眼球はもはや何も映していない。

 少女は生きている。だがそれは、“まだ死んでいない”というだけだった。

 じきに死ぬ。

 大量出血は魔法少女にとっても致命傷だ。それだけは超人的な回復の術を持たない。

 もうすぐ死ぬ。

 だが、今は確実に生きている。

「……クソが」

 舌打ちをしたいような気分だった。

 それくらいに、少女が生きていた事実がぼくには恨めしかった。

 不謹慎と眉をひそめられようと、非道と札をつけられようと。誤解を恐れずに本音を言えば、ぼくは少女に死んでいて欲しかった。

 ぼくが最も生き残る確率が高い手段――逃走という選択肢を踏みにじられたようなものだったからだ。

 指先に力が戻る。

 少女が生きていることを知って、不機嫌な気持ちに気づいて、少しは我に返ったらしい。

 体はぼくの思った通りに動いた。

「本当に、参ったな……」

 ぼくは博愛主義でもなければ、正義漢でもない。

 初対面の魔法少女が目の前で殺されたからといって、その敵討ちに命を懸ける気にはならない。そういう仕事は本職に任せるに限る。

 だから、合理主義の卑劣漢のぼくは、逃げ出したかった。この場の全てを放り出して、別の誰かに任せてしまいたかった。

 だが、少女が生きていると分かった今、その選択を取ることは不可能だ。

 もし逃げるなら少女も連れて行かなければならない。

 一人では、ぼくはこの場を後にすることはできない。

 その選択をしてしまったら、絶対にぼくは後悔をしてしまう。

 取り返しのつかない後悔を。

 厄介なことに、この類いの後悔は晴れることはない。死ぬまでどうしようもない後悔を抱える人生は、死んでいることとそう変わりはない。そんな後悔するくらいなら死んだほうがマシだ。

 この価値観は道徳や倫理とは一線を画する、ぼくの人生そのものと言っても過言じゃない。

 だから、ぼくは舌打ちをしたい気分だった。

 少女が死んでいてさえくれれば、ぼくは生き残るために全力を尽くすことができたのに。

 両手で地面を掴み、バク転の要領でぼくは立ち上がる。

 先ほど損傷した後頭部も既に回復を終えていたようだ。頭痛も何もなく、極めて健康体だ。そんな自分が瀕死の少女とともに倒れていたことに、自己嫌悪のようなものを覚える。

 立ち上がって、正面をうかがうと。カマキリの複眼がぼくを捉えていた。

 当然だ。ぼくに注目してもらわないと困る。足元に転がっている魔法少女に対する意識を全てぼくに当ててもらわなければ、立ち上がった意味がない。

 ぼくは真正面からカマキリと対峙しながら、自分に残された選択肢を整理していく。

 一人で逃げることはできない。だからと言って、少女を連れて逃げることも不可能だ。

 人間一人を抱えて移動することは簡単なことじゃない。まして上半身と下半身が別れた人間は嵩張りそうだ。世界の『敵』は、ちんたら逃げるぼくたちを黙って見送ってくれる相手でもないだろう。

 そもそも、死にかけの魔法少女を今移動させたら、多分容赦なく死ぬ。

 ということは、少女を動かさず、少女にカマキリの脅威が及ばないようにしなければならない。

 ぼくは乾いた唇を舐めた。いつのまにか出血は止まって、傷は塞がっている。ため息をつきそうになる自分の異常性も今は厭っている場合ではなさそうだ。

 整理して、消去して、残された選択肢は一つだ。

 どうやら、また生を諦める必要があるらしい。

 

 

つづく

誰にも唱えられないまま一年が過ぎてしまいました。

結局私は一歩も進めないままです。

私生活に少し余裕が出てきた気がしますので、またこそこそと物語を進めていこうと思います。

と言っても、一年前に仲良くなった人すらもう姿が見えないような気がしますが。

八年くらい前にいた友達なんて、一人も残っていないでしょう。

みんなどこかに進んでいったんだろうなー、と。他人事だから他人事のように思います。

そういう意味でも私は停滞したままです。

いつか私も前に進んでいくのかも、と。自分事ながら他人事のように思います。

そうなったら、あの楽しかった時は本当に終わりなんでしょう。

何年後になるか分かりませんが。

終わったらなろうとかに拠点を移そうかなーとか、適当に考えています。

いつまでも中学時代の思い出に未練がましく居座るのも見苦しいので。

 

という、ただの告知でした。