ゆぴおの、徒然うらら。 -16ページ目

ゆぴおの、徒然うらら。

2009.02.28〜 気づいたら13年。気が向いた時に更新してますがほぼ停止。


読んでる方がいらっしゃるのかわからないので
とりあえず、日記みたいな感じで書き込んでいきます。

1/18の朝、7時前かな。
カフェイン剤を大量摂取(140錠ほど)しました。
両親がいない時間を狙って。

140錠という量は、カフェインの致死量が
70キロの人間=14グラムだったので、
それに合わせて摂取しました。

できるだけすり鉢ですり潰して飲んだけど、
今思い出すだけでも気持ち悪いくらい、
匂いがやばかった。でも粒で飲むよりも
飲みやすいし、消化が早いって
ネットで調べたら書いてあったので、
そんなふうにして飲みました。

飲んだあと、嘔吐。何回くらいかな~。
5〜6回は吐いたかと思います。
お医者さんいわく、吐いちゃったから、
一命を取り留めたらしいです。

そんでしばらくしてくると、寒気。
布団にくるまっても寒いんです。

そんで、震えながら朦朧としながら
1階のこたつへ。ぜんぜん暖まらない。

親が帰ってくるのは午後だと思ってたが、
なんと9時過ぎに帰宅。これが想定外。

吐瀉物の匂いと、おれの異常状態、
そして大量の薬を飲んだ形跡(空き袋など)
などから、救急車を要請。

運ばれてしまいました。

こたつの中で母に
「これ全部飲んだの?なんで?」
「自殺しようと思ったの?」
って聞かれたけど、
果たしてうまく答えられたのかな。。

救急車で測った体温は35.8。
これもよく覚えてるなぁと思う。笑

朦朧としてる時の記憶って、
意外とあるんですよね。びっくり。

平熱は37度くらいなので。低い部類。

病院に運ばれたあとは、
尿道にカテーテル、鼻に管をブスッ。

鼻の管は、炭を流して薬の効き目を
遅らせる効果があるんだとか。

おれはもうベッドの上で暴れまくり、
吐きまくり、手に負えない状態。。笑

腰、そして手脚もベッドに固定されて
何も出来なくされてしまいました。

しばらくすると救急病棟へ。
鼻の管が嫌で嫌で、付き添いが見てない
隙を狙って、縛られてる手で
引っこ抜こうと試みるんです。

でも、いざ抜けたとしても
また差し込まれる。笑

分かっちゃいるけどやめられない。笑

意識朦朧してても視界はボヤーっと見えてて、
母だ、父だ、おばだ、って分かるんです。

「ごめんね」「大好きだよ」
「かわいいよ」「いい子だよ」

そんな言葉をそばでずっとかけてくれました。

聞いてるのが精一杯でしたが、
声をかけてくれるのが嬉しかったです。

こういう時って神経が過敏になるのか、
囁き声とかでもすごい聞こえるんです。

俺のこと話してる、仕事の話してる、
お金の話してる、全部聞こえました。

なんせ死ぬつもりだったので、
今後のことなんて考えてなかったし。
この段階ではまだ、生きたいよりも
死にたい気持ちの方が強かったです。

なんで死ねなかったの?
いろいろ調べたのに。。はぁ~あ。
って感じでした。

夜になると個室に移されました。

でもまだ、手足も腰も縛られたまま。
寝返りなんて打てません。

薬の成分が残ってるので、
吐き気がすごくて何度も戻しました。

でも、胃に吐くものもないので
胃酸や唾液、叫びつづけてるので
喉も切れてしまい血も吐くように。

吐くものはないのに、吐きたい。
これ以上に辛いものは無いです。

「やだ~」「しんどい~」
「あ~~」「つらいよ~」などと、
しばらく叫びつづけてたと思います。

そりゃあ喉も切れるわ。笑

結局ひどい吐き気は19日の朝まで
続きました。しかもカフェインなんて
飲んじゃったので(しかも140錠も)、
目が冴えちゃって眠れない。笑

親は疲れきってるのに、
俺は元気的な地獄絵図でした。


とりあえずはここまで。