とみぃさんの日記だす -3ページ目

35年前…袴田巌さんの手紙②

高裁はその棄却判決で、露骨に独断に過ぎない不当を晒しました。以下、端的に問題を記します。

先ず、小生のパジャマに油、血痕がついていると偽証して起訴しましたが、一審審理中に血染めの衣類が発見され、検察側は主張を変更。この衣類を犯人が犯行時に使用したものと断定し、これを不当にも小生の物としたのです。
しかし、この衣類の中のズボンについて、公判の中で装着実験をしたところ、小生には小さすぎて穿けないことが明らかとなりました。穿けないズボンで犯行はできない。また、白半袖シャツには右肩に傷穴が二つあります。
さらに言うならば、右肩の二つの傷穴を中心に、それぞれ直径2.5センチの内面からしみ出た人血痕があります。これが物語る真犯人像はあまりに明確であります。それは、まごうことなく右肩に二つの傷跡があるということです。
しかし、小生の右肩にはそれに相応する傷はない。この衣類は小生が着たものではないのです。

嘘を教えるはずのない物証(しかも検察側が提出した)が示す通り小生が犯人でないことは、何人にも断定できるところです。
この裁判を確実に勝利させることが、ひいては全ての人達の人権を守ることにつながりましょう。そのためには、先ず、デッチ上げ事件の真相を知る必要があります。

どうか、裁判において真実が勝利できますように、郡司先生のお力をお貸しください。


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35年前…袴田巌さんの手紙①

ボクシング評論家だった故・郡司信夫さん宛てに届いた袴田巌さんのお手紙の内容が1980年1月号の「ボクシングマガジン」に掲載されました。少年時代の僕はこの手紙の内容に大きなショックを受けました。
ひとりでも多くの方々に読んでいただきたいので記させていただきます。



郡司信夫先生。
今般、唐突にお手紙を差し上げます失礼、どうかお許しください。
善良な民衆がなにげなく生活しているこの日本に、無実の罪を受けて苦しみ、自由も人権も奪われてしまったという元プロボクサーがおります。
警察・検察側はこの事件で、被害者の一人が柔道二段で、巨漢であったということから、犯人は腕に自信がある者という、予断と偏見を持ちました。
そして、悪辣な偽証を唯一の武器に、その男を強引に逮捕し、否認しているその男の真実を封殺し、遂には捜査陣が想定した架空のストーリーをもって自白調書などと言いくるめ、起訴したのであります。
このような恐るべきデッチあげは、法の下で訂されなければなりません。

前記のその男とは、二十年程前に郡司先生の目の前で、プロボクサーとして、拙い試合を、しかし一生懸命に十数回お見せしたことのある袴田巌です。
あるいは、ひょっとして、小生を思い出していただけたかも知れません。
今、私は先生に真実を訴えたくてこの手紙を認めております。

小生は現在、濡れ衣を着せられて東京拘置所に捕らえられております。一、二審において、満くうの怒りをこめて権力犯罪を糾弾すると共に、一応の真実…正真正銘「小生は無実である」ことを訴えてきました。それは、文字通り小生の血叫びでありました。しかし、この真実である血叫びが過去十三年余にわたり未だに容れられません。この司法の無責任さに、小生怒りで肌があわだつ思いです。

今、最高裁決戦に突入していますが、小生が(殺人事件の)真犯人ではあり得ないという厳然たる物的証拠が存在しているにもかかわらず、裁判官等は正義を忘却しています。何とも悲しいことです。


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元プロボクサー袴田巌さん、48年ぶり釈放

袴田巌さんの再審開始が決定し、逮捕から実に48年ぶりに釈放されました。

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「袴田事件」― 昭和41年6月、静岡県旧清水市の味噌工場で経営者一家4人が何者かに惨殺されました。
警察、検察は明確な証拠もなしに住み込み従業員の袴田巌さんを犯人と決めつけ、連日12時間に及ぶ過酷な取り調べの末、強引な自白調書を取りつけ起訴しました。
裁判所も自白の信用性を認め、死刑判決を下したのです。
昭和54年12月号の「ボクシングマガジン」の記事を読みこの事件を知り、あまりのずさんな捜査内容にショックを受け、大学の卒業論文もこの事件を取り上げました。
社会人になった後も袴田さんのことは常に頭の片隅にあったものの僕は何の行動も起こさないまま生きてきました。袴田さんの無実を信じ、安否を案じながらも…。
臆病な僕はこの事件が抱えるあまりの重さから目をそらしていたのかもしれません。

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2010年6月、銀座シネパトスで映画「BOX 袴田事件 命とは」を観ました。
見終わった後、涙が溢れしばらく立ち上がることが出来ませんでした。
この事件を知って30年余り… 旅行を楽しんでいる時も、友達と遊んでいる時も、どんな時も袴田さんは拘置所の狭い部屋の中で、死刑執行の恐怖におびえていたんだ…。そう、無実なのに!

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そう思うとたまらない気持ちになりました。静かな映画館を後にして「僕はこの映画を見なくてはいけなかったんだ。」強くそう感じました。
映画館の外に出るといつもの賑やかな銀座の街…。誰もが「自由」を当然の権利だと疑わないこの国で半世紀近くも冤罪によってその「自由」を奪われ苦しんでいる人がいるなんて。
それ以来署名活動など細々とですが再審に向けて行動するようになりました。

そして昨日…。テレビのニュースで袴田さんが歩いている映像を見て胸が熱くなりました。
生きていてくれてよかった…。
一刻も早く「無罪」が確定し、袴田さんの潔白が名実とも証明される瞬間を待ち続けたいと思います。袴田さん、よく耐え抜きましたね。

貴方こそが真のチャンピオンです。

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