ヘルマン・ヘッセ『青春彷徨 ペーター・カーメンチント』(岩波文庫) | 落語探偵事務所

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今週、ヘルマン・ヘッセ『青春彷徨』ドイツ、1904年、を読みました。

私が読んだのは、ヘルマン・ヘッセ著、関泰祐訳『青春彷徨 ペーター・カーメンチント』岩波文庫、1937年初版、の1964年改訳版です。
(岩波文庫版は品切れor絶版で入手困難なようなので、今も増版されている、新潮文庫版『郷愁 ペーター・カーメンチント』(高橋健二訳)の画像を貼っておきます。)

アルプスの山村に暮らすペーター少年が、町の高校、さらに都会の大学に進学し、失恋をしては嘆き悲しみ、母の死に沈鬱になり、人嫌いになっていくのですが、アッシジ(イタリアのペルージャ)での素朴かつ心温かな人々との出会いの中で癒やされていく…という物語の「教養小説」です。

20世紀初頭のドイツ教養小説として名高く、ドイツのみならず世界各国で読み継がれている本書ですが、私は「中二病」(by伊集院光)の青年が、失恋、友人の裏切りなどに苦しみもがき、「いかにどれほど人から愛されるか」という態度から「いかにどれほど人を愛するのか」という姿勢へと成長し、やがて「中二病」から完全に回復する過程を描いた小説として、興味深く読みました。

恋をした相手の女性のために、アルプスの険しい山に登って花を摘み、誰にも見られないよう女性の家にひっそりと忍び込み、玄関先に花を置く…。

それから“真の友情”を求めるその姿には同性愛的な方向性も見え隠れしていることや、“真の友情”を得たと思ったら、自分の知らない所で相手が自分のモノマネをして嗤っているという手痛い裏切りに遭う…。

他にもこんな風な主人公の行動はいくらもあるのですが、正直言って「中二病」真っ最中の行動は痛々しいので止めておきます…。
(何て言うか、私は読んでいて、自分自身の思春期のあれこれがフラッシュバックし、一人で恥ずかしくなりました。)

注目したいのは、主人公が人生に対する態度を、「自分が他人から愛される」ことを追求することから、「自分が他人を愛する」ことを追求することへと180度の方向転換をすることで、「中二病」的状態から脱していき、やがて完全に回復する、という点です。
今の日本の「コスパ」流行りにどっぷりと浸かっている私には、「自分がどれほど他人からサービスを受けるのか」ばかりに注意が行き、これが分からなくなっていることに気が付かされました。
私も長年「中二病」的な思考・嗜好に悩まされてきましたから、この点に気が付いていればもっと早く治癒できたかもしれない、もっと早く、せいぜい20代前半までに読むべきだったと、ちょっと残念に思いました。

そういう意味でも、今の日本でも読まれるべき小説かと思います。
「中二病」に悩む思春期のすべての人たちにお薦めしたいです。

追記。ヘッセというと『車輪の下』という暗い小説を思い起こす人も多いですが、この『青春彷徨』には痛々しさはありますが、救いもあり、決して暗くはないですし、『車輪の下』よりも日本ではもっと読まれてよいと個人的に思います。