色んな霊が出ますよね。


その中でとりわけ、切なく、やりきれない想いを抱かせられるのが、

子供さんの霊のハナシです。


日本霊異記からして、子供の霊についての記述があります。

かの書物は要は仏教説話なので、あんまりリアルな感じはしないのかな、

と思いつつ、読んでみると、それなりにぐっとくる。


平均寿命、で括ると、明治初めくらいまで、日本も、若死にの国だったようです。

でも、それなりに、じいさんばあさんは居た。

要は、乳幼児死亡率が高かったので、平均寿命が下がっていたという事なのかなと。


そういう訳で、乳幼児死亡率の高かった時代の日本では、

子供が生まれても、数え七才になるまでは、人間の子とはみなさず、

未だ神様のもとにいる存在だと。そんなふうに思われていたようです。


死んでも、すぐに生まれ変わってくると。


ですから、幼くして我が子が死んでも、葬るのは大人とは違う埋葬場所だったり

したとか。結構適当に。どうせすぐ生まれ変わってくるんだからと。


ー子を持つ親としては、子が死ぬとは、こんなにつらく切ないことはない訳で。

どんな時代でも。

子が死ぬ、間引きも含めて、なんて、身を切られた方がなんぼもましな、

そんなことに否応無しに直面せざるを得なかった親御さんたちが、

そんなことが何世代、何百年にわたって続いた挙げ句に、


幼子は神様のもんだから。死んでも悲しまなくていい。

7つになって、やっと人間の世界で生きていけるようになる。


そういうふうに、自身の心情に納得いかせる。

そして、今に至って、七五三とかの風習につながっている。

のかなぁ、と思ったりします。


(その親の心情に乗っかって、水子供養で儲け口を考えだした人がいて、

いまだその余韻が残っている事に関しては、昔記事にしたので、

このブログのどっかにあるはずです。)


ともあれ、数ある怪談のうち、子供がらみは、古典といい、現代ハナシといい、

どこか切なさを感じるものです。


前置きが長くなりました。




先日、旧い友人と飲みました。

彼は50がらみで未だ独身。死語で言うところの、独身貴族です。

北関東の某県に在住し、住まいは親が建てたアパートの一階の一室。


彼の人生観については、さて置きましょう。

あまり、碌なものではない、のは、ご想像の通りかもしれません。

私も、あまり人の事は言えないので...てのは、どうでもいいとして。


でさ、と、彼はいいます。


出たんだよ、と。


え?何が?(と、私)


あれがさ、うちんちに 


あれ? ってなに ゴキ?


じゃなくて、あれさ、...ゆうれい、っての? おばけ?


ゆうれい。ゆうれい!! おばけ。 あ、そう。まじか。どんなの?


なんてか、子供?...子供。男の子。


子供? へ、ぇえ。どんな?ふうに?どう?


男の子がさ、小...2か3? くらいな? 1・2年?そんくらい。

小ちゃい子。

窓から見てたんだよね。夜中に。

暑くてさ、夜中...2時かそんくらい? 起きてさ。目、さめてさ。

そしたら、なんかさ、いたのよ、窓の外に。見てんのよ、こっち。

男の子がさ。子供が。


いつよ、それ?いつ頃のこと?


うー、2週間くらい前かなぁ。先月、先月。

でさ、なにこの子?どこの子?ってさ。何してんの夜中にってさ。

暑いから、窓、網戸じゃん。


おれんちあたりは、そんなに暑くなかったけど。


俺んとこは暑いんだよ!!

カーテン開けて。網戸からこっち見てんだ。男の子が。

なに?って聞いても黙ってんだよ。どした?って聞いても。

早く家帰れ、つって、寝よと思ってさ。

がさがさしてたら、居なくなってた。んだよ。でもさ。

うちのアパートのまわり、砂利ひいてんだよ、防犯用の。

歩くとギシギシいうやつ。

...音、しなかったんだよね~。

でさ、よく考えたら、うちの窓、下から俺の肩くらい(約150センチ)

あんのよ。あんな、小ちゃい子、届かねえだろ。

...窓まで、顔が。

一応、朝確かめてみたけど、人がいた跡ないし。


ふうん。そりゃ、ゆうれいかもなあ。




まあ、その手の嘘をつく男ではないのは、保証します。

しかし、相変わらず、私が書くと、文字大きくしようが、

怖くも切なくも何ともないですね。

ごめんなさい。