みなさんこんにちは。
 
突然ですが、牛丼はお好きですか?
 
「好きだ」 「好ッきゃねん」 「好きでごわす」 「うちは、ダーリンのことが好きだっちゃハートハートハート 」
 
とお答えの方、どこの牛丼がお好きですか?
 
すき家? 松屋? なか卯? らんぷ亭? チカラめし? はらたま?(わかる人にだけわかればよい)
 
―とまあ、色々ありますが。 
 
 
古くからの読者の方々はよ~くご存知かと存じますが、私にとって、牛丼とは、吉野家なのです。
 
いえ、もとい。
 
私の中で、既に、とうの昔に、吉牛は牛丼としてカテゴライズされていません。 では何か。 それは…
 
べ物!! ―なのです。
 
 
私の中での吉牛は、とうの昔に、牛丼世界を超越し、別格の存在として、燦然と輝いているのです。
 
 
そんな私が、今日、聖地に、念願の聖地に、行ってまいりました。
 
 

 
 
私と吉牛の出会いは、今を遡ること34年。当時私は中学2年生。
 
夏休みで里帰りした北九州は小倉の街で、私はヨシギュアー(*1)としての覚醒をみました。
 
 
叔父に連れてってもらった映画「銀河鉄道999」の道すがら、叔父が「牛丼でも食ってこか」と、あの、
 
今となっては天啓とも思えるさりげない一言を発しなければッ。発しさえしなければッツ!!
 
…今のヨシギュアーとしての私は存在しなかったでしょう。
 
それは、たまたま通りがかった、吉野家の前での出来事でした。
 
 
そして、生まれて初めて入った吉野家。「明日はホームランだ!!」のCM(*2)はよく目にしておりましたが、
 
牛丼自体にモチベーションがなかったので、食べに行こうとは思った事もありませんでした。それまでは。
 
何か適当に頼んで出てきた牛丼を見ても、そう旨そうにはみえない。まあまあ空腹だったので、全く味など
 
期待せずに、生まれて初めての吉牛を口にした、その瞬間。
 
 
つゆ・飯・肉のテルツェット(三重奏)がいきなり口の中で演奏を始めたではありませんか。
 
 
まず、肉が旨みの独奏を始めたと感じた途端、飯は飯でコメ独特の甘さを保持しつつも降り注がれたつゆを受
 
け取りそしてそして取り込みながら自己の奏でる音色をさりげなく口中で歌舞ってくる。―な、何だこれは!?
 
ま、ままま待て待て。つゆだ、このつゆが、つゆが低音で、この口中演奏会のテーマを奏でているのだ。
 
何者なのだ、ななな何だ何なのだ、このつゆの…コクと…いわゆるひとつの甘美さは…?
 
うわッツ!!噛めば噛むほど、肉の旨み…旨みがぁッ!? ―そうかと思うと、飯が、つゆの染みた飯がぁぁぁぁ…。
 
これもつゆの、つゆの目論見なのかァッ!?いや、そうだそうに違いない!!恐るべしッツ、恐るべし、このつゆッツ!!
 
こッ、この三重奏ッツ!…肉がピアノで飯がバイオリン、そ、そしてつゆがチェロのピアノ三重奏なのかぁッ!?
 
はっははハイドン!?いや、モーツァルト??いや、ベートーベンの七番、七番なのかぁッツ、これは…!!??
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
…今から憶うと、それは、中坊(しかも2年生)らしい稚拙な、本当に稚拙な衝撃の受け止め方でした…。
 
物事を、自分が直面している事象を、己のレベルで受け止め、咀嚼しようとしていたに過ぎなかったのです。
 
 
何故なら。
 
 
次の瞬間、セカンド・インパクト、いやむしろビックバンと呼称すべき現象が、私の舌に並ぶ幾千万の味蕾を
 
飲み包み込み溶かしたのです。
 
 
つゆ・飯・肉が私の口中で渾然一体となった時。 …それは、発生しました。
 
うまい!!なんてうまいんだ!!
 
イメージ 3
 
吉牛の小宇宙が、私の口中で爆発的に誕生した瞬間です。これを…これをビックバンと呼ばずして…。
 
鉄郎や、車掌さんや、あのメーテルすらも忘却の彼方へ追いやり、つまりは私は”無”になり、
 
(例えばゴータマ・シッダールタが菩提樹の下で悟りを得た時も、こんな感じだったんじゃないでしょうか。)
 
吉牛はその時私を虜にしたのです。
 
 
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偉大なり吉牛。
クリックすると吉野家さんHPに飛びます飛びますコタローね(*3)
 
 
 
…それ以降、例えば大学時代なんかは、日に3度吉牛食っても飽き足らず、深夜26時にバイクを飛ばして
 
戸塚駅前の吉牛に弁当買いに行くような、ヨシギュアーとなりました。私は。
 
 
―そして現在に至ります。
 
 

 
 
私の流儀は 「ネギ抜きつゆだく」 (”盛り”はその時の空腹度合いによる。)
 
 
既に成熟しつつあるヨシギュアーである私にとって、つゆ・飯・肉の完成されたトライアングルの中に介在が
 
許されるのは唯一、”少量にして適量な紅しょうが(*4)だけ、なのです。そこには、レギュラーメンバーで
 
ある筈のネギにすら、その立ち位置は残されておりません。ましてや、玉や七味などは、はなから門外漢。
 
私の懐が少々暖かい折には、味噌汁がお供としてまた幕間の箸置きとして、参画が許される場合もありますが。
 
 

 
 
ここまで書いたら、常連さんにはもうお判りでしょう…。
 
本日、私が赴き辿り着いた、その聖地とはその聖地とは!!
 
(つづく) 
 
 

 
 
(*1)ヨシギュアー=吉野家愛好家の事。TOの造語。
 
(*2)「明日はホームランだ!!」=「やったねパパ!!」との枕詞がつく。同時期の、「お菓子のホームラン王です」と共に記憶に残るCM名セリフである。当時、王選手の影響力が相当なものだった事が伺い知れる。毎日放課後にそのへんの空地で野球をやってた私のようなガキ共にとって、野球=剛速球&魔球&ホームランだった、旧き良き時代を象徴するセリフの一つである。ちなみにトリビアながら、吉牛CMで件のセリフを吐いた子供の名前は”イチロー”(という設定)である。
 
(*3)コタローね=なんで「コタローね」と二郎さんが言ったかというと、トリビアながら、このギャグをやった当時に二郎さんは井関農機のトラクターのCMをやっており、そのトラクターの名前が「小太郎」だったからである。ちなみに、ライバルのヤンマーは「ヤン坊マー坊の天気予報」+小林旭の「♪ほぉれぇ(俺)~のトラクタハァ~(トラクター)♪」CMで対抗していた。ところで、最近トラクターのCMを見ないが、そこまで日本の農業が衰退しているのかと、マジで心配になる。
 ところで、今の若い世代は「二郎さん」って知ってるんだろうか?念の為書いとくと、コント55号で欽ちゃんと一緒に一世風靡そいやそいやそれそれ!!したコメディアン&後年は味のある俳優、(売れなかった若い頃は先日亡くなった島倉千代子さんの専属司会者)だった人なのだが、よく考えると、”コント55号”とか”欽ちゃん”とか。”一世風靡そいやそいやそれそれ!!”すら、若い世代には何の事か誰の事か判らんかもしれん。
 
(*4)少量にして適量な紅しょうが=この見極めが、ベテランである私にとって最大の難関かもしれない。時に多く入れすぎて、絶妙なバランスを崩してしまう…。店によって、また、時間帯によって、ひたひたの紅しょうがもあれば、乾いてカピカピの紅しょうがもある。それらに臨機応変に対応してこそ、真のヨシギュアーなのかもしれない。つまりは、「紅を制す者は吉牛を制す」。―まだまだ私は修行が足りん。