県立金沢文庫で開催中の『運慶展』に行ってみたら、月曜日は休館でした。残念。
 
まあ、天気も良いので、そのまままたぞろ鎌倉へ。
 
まずは、通い慣れた金沢街道沿いにある「十二所神社」に寄りました。
 


 
金沢街道で鎌倉霊園を越えると、十二所と言う地名になります。
 
この神社はその地名の源となった神社です。
 
街道からやや奥まった山の裾に、ややひっそりと建っております。
 
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十二所神社は各地にありますが、もともとは熊野の神様を勧請したもので、明治以前は「熊野十二所権現社」と
 
呼ばれておりました。
 
ちなみに、「権現様」と呼ばれる神様は多いですが、「権」は「仮に」を意味し、「権現」とは「仮の姿で現れた」と言
 
う様な意味になるそうです。どう言う事かと言うと、日本に仏教が入ってきて以来、それまで存在していた日本の
 
神々との折り合いをつけるために神仏習合が進んで、「日本の神様は仏が仮の姿で現れたものなのだ」と言う考
 
えになり、それを文字で表す「権現」と言う神号が使われる様になったと、そう言う事なのだそうです。
 
 
それが明治の神仏分離によって、「十二所神社」と改められて現在に至ります。祭神は天神(あまつかみ)7柱、
 
地神(くにつかみ)5柱の12神。それで社名が「十二」となる訳です。
 


 
鳥居をくぐると、ちんまりとした社殿が控えております。
 
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鎌倉の十二所神社はいつ頃建立されたかは不明なのですが、『吾妻鏡』には寿永元(1182)年に北条政子の出
 
産に際して奉幣使が派遣され、二代将軍源頼家の誕生に際しては、神馬が奉納されたと言う記録がありますの
 
で、鎌倉時代初期には存在していたのは確かな様です。元々は光触寺の境内にあったものが、江戸時代後期
 
の天保9(1838)年に現在地に移され、新社殿が造られたそうです。
 
 
境内に祀られる地主神(左)と山の神(右)。イメージ 3この土地のお父さん神とお母さん神と言った所でしょうか。
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社殿左手には裏山に続く山道が…。岩に刻まれた古色蒼然とした石段に誘われて尾根筋まで登ってみました。
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昔は天園まで抜けるハイキングコースだった様です。
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10分も歩かない内に尾根筋に。
 
空気が美味しく、丁度良い運動になりました。
 


 
さて最近、この十二社神社は社殿に兎の彫り物がある事で有名になっているみたいです。
 
今年の干支にちなんでの事なのでしょうが、テレビや雑誌でも「今年おススメのパワースポット!!」などと紹介され
 
ています。
 
(↓)二羽のうさちゃん。
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何でここに兎が?熊野権現のマスコットキャラなら八咫烏だろうに…?
 
八咫烏と言えば、サッカー日本がアジア杯優勝しましたね!!)
 
と思う方も多いでしょうが、「お釈迦様が『友を大切にするうさぎは賢くて慈悲深い』と称えたから」とか、「うさぎは
 
古来神の使いとされているから」とか「兎と言う字は免に似ている事から、災いから免れるとされるから」とか、
 
色々な説がある様です。ならは他の神社にももっと兎の彫刻があっても良さそうですが、あまり聞きません。
 
そこで私の珍説…地図を見ると、十二所神社は鎌倉の中心である鶴岡八幡宮の真東にあります。また、ここか
 
ら先は朝比奈の山に入り、つまり十二所は鎌倉の東の果てにあたります。
 
十二支の卯は東を表しますので、「ここが鎌倉の東端だよ」と言う意味で兎を彫ったのではないかと…。
 
では、鎌倉西の果てには鳥の彫刻があって、南には馬の彫刻があって、北にはネズミの彫刻があるのか!?
 
―おいおい探してみます。
 


 
しかし、十二所神社に怨霊伝説がある訳でもないので、このままだと「怨霊散歩」の記事になりません。
 
何かないかと思ったら、ありましたありました。
 
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社殿右手の崖をくりぬいて小さな祠が2つ祀られておりましたが、左手の祠を覗いてみると…。
 
読めますでしょうか?
 
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「疱瘡神」と書いてあります。疱瘡とは天然痘の事で、疱瘡神は天然痘をもたらす疫病神です。
 
疱瘡神は藁の船でやってきて、人の夢の中に入り込んで取り憑くと言われておりました。
 
昔の人は、疱瘡神を丁寧にお祀りする事によって天然痘の流行を抑えようとし、もし感染したらその症状を和ら
 
げてもらおうとしたのです。
 
イメージ 7(←)疱瘡神。
 
 
天然痘が日本の史書に初めて登場したのが、天平7(735)年の『続日本紀』だといい
 
ます。有史以前から多くの人類を死に追いやってきた天然痘は大陸から日本に流入し、
 
幾たびもパンデミックを引き起こしました。天然痘は恐るべき感染力を持ち、死亡率は一
 
説では40%を超えると言う、まさに悪魔の病気でした。国や民族が滅亡する遠因にもな
 
るほどの病気。しかも治療法が全くなかったので、天皇から民衆まで人はただただ疱瘡
 
を恐れ、疱瘡神を畏れるしかなかったのです。
 
 
疱瘡除けに、疱瘡神は赤色を嫌がるからと赤い御幣や赤摺りの錦絵を貼ったり、疱瘡神が集落に入って来ない
 
様に村はずれに石塔や祠を建てたりしたそうです。その一つがこの小さな祠なのでしょう。
 
 
近代になり天然痘が根絶されると、道端に建てられた疱瘡神を祀った祠や石塔は近くの神社や寺に移され、
 
移された物はまだ良いですが、道路工事や宅地開発の度に破壊された物も数多くあったとか。
 
そんなバチ当たりな事をして、新型インフルエンザなんかが爆発的に流行したりしなければいいのですが…。
 
 
…と、少しは「怨霊散歩」っぽくなった所で、十二所神社を後にする取材班でした。
 
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