「腰痛や腰から下の病気になるのは、水子供養をしていないからだ」(細木数子) 「戦慄すべきは『水子の霊障』
である。解脱供養しないとその怨念はいつまでも消滅しない」(阿含宗・桐山靖雄管長) 「(水子をつくれば)家
系の未来を自分自身の手でふさいでしまうのであるから家族や子孫が幸せになることはとうてい望めない。…
いつまでも何らかの不幸をもたらす恐しい霊障であり、父母、兄弟姉妹、孫、ひ孫まで引き継がれていく」(本覚
寺、後の明覚寺)…
「水子のたたり」を説く「霊能者」「宗教団体」は数多く存在します。
堕胎や流産した子供の霊が親にすがりつき、数々の障害を為すのであると。
そして、「霊能者」や「宗教団体」は続けてこう言います。それを回避するには、高額の水子地蔵を買い、高額の
墓を建て、高額の布施をしなさいと。ついでに、「ずばり言うわよ」で有名なおばはんみたいに、墓石業者を「紹
介」してくれる親切な「霊能者」も数多く存在します。
テレビなどの「心霊写真コーナー」でも、女性の腰の辺りに妙な光が映りこんでいたりすると、それが明らかに
レンズゴーストであろうが、テレビ霊能者はしたり顔でこう言います。「水子が憑いていますね…このままでは良
からぬ事が起こるでしょう…」
呪いや祟りは数々あれど、この「水子のたたり」と言うのは、現代の日本人にとっては最も身近な「たたり」なので
はないでしょうか。しかし、現実に「水子のたたり」などと言うものは存在するのか?
調べてみたら、そんなモノはありゃしないと言う事が判明しましたの
で、記事にします。
流産・死産した子を水子と呼ぶのは、流産する事を「水になる」と呼んだ事に発する様です。もしかしたら、「水」と
「見ず」をかけて、「親を見ずに亡くなった」と言う意味を込めたのかもしれません。本来は戒名の下につける位号
の一つで、「すいじ」と読むのが正しいそうです。
日本では昔から、水子(生まれて間もなく亡くなった子も含めて)の葬儀や埋葬は、大人とは異なった方法で行う
風習があったそうです。現代から見ると酷く残酷に思える間引きに対してすら、後ろめたさは少なく、生まれてこ
なかった子はすぐに次の生を受けると前向きに考えられて、仏としては扱われなかったのです。
これは、「水子は人間の子ではなく、未だ神の子である」との考え方によるものです。
世俗の垢にまみれておらず何の罪も犯していない水子が祟る訳はなく、長らく水子と祟りを結びつける考え方
はありませんでした。そう言う事情によって、水子を特別扱いして供養をすると言う風習も存在しませんでした。
水子供養を最初に始めたのは、江戸時代の浄土宗僧・祐天(寛永14〔1637〕年~享保3〔1718〕年)だと言われて
おります。(江戸時代の怨霊ハンターとしてその手の話が好きな方には特に有名です。東横線の駅名にもなって
いる祐天寺は彼が晩年を過ごしたお寺です。)祐天は、それまで碌な供養もされていなかった水子に法名を授
け、供養しました。これは、亡くなった子供の為に供養したと言うよりは、子供を亡くした親の苦悩を救済する
為の行為だったと考えられています。
江戸時代は、死産率が10~15%・1歳未満の乳幼児の死亡率が20%・2~5歳の幼児の死亡率が10~15%と言
う状況でした。それだけ多くの親が幼い我が子を亡くしているにもかかわらず、その苦しみを癒してくれるものが
何も無かったのです。その状況に宗教者として対応したのが祐天だったのです。祐天の行った水子供養には
「水子のたたり」と言う概念は存在しておりません。元々仏教は霊の存在を否定していますし(「霊魂不
説」)、そこには「霊が祟るから供養する」という考え方は介在出来ないのです。
では、いつ頃から「水子のたたり」などと言う話が流布し始めたのでしょうか。
これは意外に最近の事で、1970年代からだと言う事が判りました。
昭和46(1971)年、埼玉県秩父郡に紫雲山地蔵寺と言う寺が造られました。
地蔵寺のHPには、沿革が次の様に紹介されております。
「初代住職はかっては政治評論家として活動しておりました。…(中略)ありとあらゆる相談に応じてきましたが、
その相談の半数以上が胎児中絶の後遺症に悩む人であることを知って、驚きました。そして近年の異常な犯
罪、社会問題の多くが胎児中絶、人命軽視に関係があることを思い、埼玉県秩父の山中に、水子供養のため
の「紫雲山地蔵寺」を建立しました…(後略)」(太字は原文のママ)
「初代住職」と言うのは国家主義的な政治活動家である橋本徹馬氏で、時の総理大臣佐藤栄作の私的相談役
でもあった関係で、落慶式には佐藤総理も参列しました。
現代の「水子供養」の創唱者は、この橋本徹馬氏なのです。そして、ここで初めて水子供養に「水子のたた
り」と言う考え方が導入されたのです。(現在でも、地蔵寺に設置されているチラシには、水子を供養せずに
放置すると重病になったり家庭が崩壊したりする云々と、「中絶胎児のたたりのおそろしさ」が書き連ねてあるそ
うです。)佐藤総理の看板効果もあってか、地蔵寺は14,000体以上の水子地蔵を販売しました。
つまり、「水子のたたり」とは、新・新宗教の発案で生まれたものだったのです。
ここから「水子ブーム」が始まります。当時の日本は空前のオカルトブームでしたから、UFO・心霊・超能力など
に雑じってテレビや雑誌で大きくそしておどろおどろしく「水子のたたり」が採り上げられる事になりました。
「水子のたたり」「水子供養」が一般化していくのと同時期、檀家離れで経営難に陥っていた数多くの寺院は、大
手の墓石業者とタイアップして「水子供養」に続々と参入し、収益をあげる様になっていきました。
「水子は儲かる」―それが「業界」の共通認識だったのです。前出の阿含宗も、水子ブームに乗る様にして、急
拡大しております。
―しかし何故、この時期に水子供養が大ブレークしたのでしょうか?
戦後の日本では様々な要因で人工中絶が急増し、堕胎に対するある種の後ろめたさ、申し訳なさを抱えた女性
が多くおりました。戦後の混乱期を経て、経済的に余裕が出来た時には、そう言った女性達も年齢を重ね、身体
のひとつも悪くなる頃。また、急激な社会の変革・発展は反面、日常生活や人間関係において様々な矛盾や歪
みを生み出しており、そららは女性達の悩みの原因となっておりました。
つまり、当時の日本には、水子供養の膨大な「マーケット」が存在していたのです。そして、思い当たる節のある
人々への動機付けとして「水子のたたり」が持ち出され、大ヒットして、あっと言う間に社会に定着したのです。
もちろん、全ての寺院が「水子のたたり」を語っていた訳ではありません。多くは祐天と同じく、亡くなった子を想う
親の苦悩を救う為に水子供養を行っていました。(水子供養を行うお寺のHPを数々見てみましたが、大多数には
「水子が祟ると言う事はない」と書いてありました。)しかし、中には人の弱みに付込んで法外な値を吹っかける連
中も数多く存在し、詐欺まがいの販売を手がけておりました。いわゆる「霊感商法」と言う奴です。
その中でもとりわけ有名なのは「本覚寺(明覚寺)霊感商法事件」でしょう。
事件のあらましはこうです。昭和59(1984)年、千葉県野田市に訪問販売会社が設立され、地元の寺院と提携
して水子菩薩を販売していました。その会社の経営者は昭和62(1987)年に茨城県に宗教法人「本覚寺」を設
立。関東一円に道場を開設し、販売網を張り巡らしていきました。当初は京都の醍醐寺の末寺だった本覚寺は、
流派を脱退し独立の寺として霊視鑑定を行っていましたが、消費者センターに苦情が殺到し、損害賠償請求が
多数寄せられた為に一時活動休止。しかしその後、休眠していた高野山の明覚寺を買収して関西方面で活動を
再開。ここでも損害賠償が多発し、しまいには僧侶らが摘発され、明覚寺グループには解散命令が出されまし
た。本覚寺が何といって客を脅していたかは、前に書いた通りです。
本覚寺の事件は氷山の一角で、この手の霊感商法事件は枚挙に暇がありません。
統一教会やオウム真理教でも「水子のたたり」は散々利用され、それらカルト宗教の資金源となっておりました。
何か問題が発生して悩んでいる女性がいるとしましょう。「霊能者」や「宗教団体」から、「それは水子のたたりで
す。あなた自身か、家族・親類に中絶をしたり、流産をした方がいらっしゃるでしょう」と言われたら、それはまず
100%的中します。2002年に行われたNHKの調査では、20代~40代女性の内、3人に1人は人工中絶を経験して
いるとのデータが出ています。つまり、本人にそんな覚えは無くとも、身内のうち誰か一人くらいは中絶や流産を
経験していても全くおかしくはないのです。しかし、ずばり言い当てられた女性は、そのまま霊感商法にはまって
しまう可能性が高いのです。
しかし、そうなる前に良く考えると、もしその女性が体調悪化で悩んでいるのだったら、日ごろの生活習慣を見直
すと原因が見えてくるかもしれませんし、人間関係で悩んでいるのだったら、自分の振る舞いを冷静に振り返る
と、自分にも落ち度があったと思い当たるかもしれません。そうすると、自ずと改善策も見えてくるでしょう。
悪い事が立て続けに起こると、ついついオカルトに走りがちですが、人生そういう時もあります。逆に、良い事ば
かりが続いて「最近私ってすごくラッキーなのよね」と思った事も過去一度や二度はあった筈です。
「水子のたたり」を主張して高額な金品を要求する連中は「これこれこうで水子のたたり」と言う説明はするもの
の、決してその根拠を示す事はありません。「祟りはあるからあるんだ(阿含宗の桐山管長の言)」と開き直っ
て、無根拠にたたりじゃたたりじゃ~と繰り返すのみです。根拠のないものを信じるのは盲信・妄信でしかありま
せん。
―と言う訳で、もし「水子のたたり」に悩む方がいらっしゃいましたら、是非ご安心下さい。
水子は祟る存在ではありません。
繰り返し申し上げますが「水子のたたり」なんて、そんなモンはありゃしません。
(念のために申し上げておきますが、私は水子供養そのものを否定している訳ではありません。
祐天が始めた、本来の意味での水子供養であれば、あって然るべきとも思います。子供を亡くした親の心は
理屈や科学では癒せませんから…。)
(参考)葬儀のこころ模様・葬儀考 王子のきつねonLine 超常現象の謎解き「水子の祟り」 CORE LIBRARY「水子の霊―母の弱みにつけ込まされる、生臭共の金蔓―」 紫雲山地蔵寺HP デジタル版日本人名大辞典 霊感商法の実態 ARAKAWA'sHOMEPAGE「小鹿野の地蔵寺」 誕生前の「死」?現代日本の水子供養「水子供養の文化と社会研究会」 Wikipedia その外多数のサイト
「霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造」(櫻井義秀著・新潮新書) 「だます心だまされる心」(安斎育郎著・岩波新書) 「霊はあるか」化学の視点から(安斎育郎著・講談社)