今から約1,600年前、仁徳天皇の時代。飛騨国に、両面宿儺(リョウメンスクナ)と言う怪物がおりました。


身の丈およそ七尺あまり(約2m)、頭の前後に二つの顔を持ち、手足も4本ずつあると言う異形。

動きは素早く、怪力無双。

手下を引き連れては里で略奪を繰り返し、人々を恐れさせておりました。豊作でないと略奪もできないの

で、日照り続きの時には二つの口で山に吠え雨を呼び、冷害が出ると二つの口から噴出した炎で悪霊を払

いました。その為、飛騨国では常に豊作に恵まれたそうです。里を荒らし、帝に逆らう両面宿儺に業を

煮やした朝廷は、終に討伐軍を派遣。500日も続いた激戦の末、多くの手下を失った両面宿儺は、討伐軍

の大将・武振熊命に捕らえられます。両面宿儺の戦いぶりに敵ながら感嘆していた武振熊命は助命を申し

出ますが、両面宿儺はそれを拒否し、潔く討たれる道を選んだとされております。

イメージ 1(←)両面宿儺
























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両面宿儺の話は、日本書紀の仁徳記に書かれています。

原文は短いものです。


『六十五年、飛騨国有一人。曰宿儺。其為人、壱体有両面。面各相背。頂合無

項。各有手足。其有膝而無膕踵。力多以軽捷。左右佩劒、四手並用弓矢。是

以、不随皇命。掠略人民為楽。於是、遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之。』


(仁徳)65年、飛騨に宿儺と言うこれこれこんな姿をしたヤツがいて、言う事を聞かなかったので武振熊

が退治した。

と、ごくアッサリした記述。この原文に色々な逸話が肉付けされて出来たのが、「朝敵・両面宿儺」の伝

説なのです。

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日本書紀では朝敵になっている両面宿儺ですが、地元の飛騨地方や美濃地方では、英雄として敬われてお

ります。高山市丹生川町の千光寺や善久寺は、両面宿儺を開基としており、「両面さま」「両面僧都」と

尊称しているそうです。縁起では両面宿儺が飛騨国に仏教を伝えたとされています。他、飛騨・美濃の多

くの古寺でも両面宿儺を信仰の対象としています。


仁徳天皇の時代に日本に仏教が伝わっていたとは考えにくく、仏教を伝えたと言うのは後世に付け加えら

れたものでしょうが、言い換えればそれだけ両面宿儺が飛騨の人々に尊敬されている事の証です。


蛇足ですが、両面宿儺を退治したとする武振熊も、仁徳天皇より前の時代に活躍した人物で、元ネタ自体

も整合性がとれていない部分があります。

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さて、古代の神話・伝承にはほぼ必ずモデルとなる人物なりが存在しますが、両面宿儺のモデルとなった

のは、どんな人物だったのでしょうか。


飛騨国は古代から建築・大工技術に優れ、両面宿儺の本拠地である高山市の丹生川町一帯は、近代に至る

まで飛騨木地師の本拠地でした。奈良時代以降には東大寺の造営や平安京の建設にも飛騨工が従事した

とされております。

日本書紀では、両面宿儺の姿を「膝はあるが膕(ひかがみ=膝の後ろの窪み)と踵(かかと)がなく、力

が強くしかも軽く早い」と表現しています。これは脛当てを強く巻き、草鞋の上に「つまがけ」(山の

急斜面を登る際、つま先で駆け上がり易くする道具)をつけた姿とも考えられます。これは当時の山林技

術者の姿です。また、両面宿儺が日照りや冷害を追い払ったとする伝承は、両面宿儺が優れた農業技術者

であり、劣悪な天候から農作物を守った事を示しています。


近代の研究から、上古の美濃を開拓したのは古代鴨族で、山城北部から近江南部・伊勢北部を経て美濃西

部に入ったことが分かり、これが全国の「木地師」とも深い関係をもつことが分かってきたそうです。


両面宿儺はこの古代鴨族の一人で、山林・農業技術に長け、善政を敷く飛騨の王だったのではないでしょ

うか。伝承では、両面宿儺は美濃国で討伐軍を待ち伏せたとされておりますので、美濃も両面宿儺の統治

下にあったのでしょう。


仁徳天皇の世(5世紀前半)は、朝廷が政治的・社会的に秩序を確立しつつある時代です。飛騨国にも朝

廷の影響力が及んでいたのでしょうが、両面宿儺は飛騨への支配力を強めつつある朝廷に立ち向かった為

に、朝敵として歴史に名を残す事になったのだと考えられます。


丹生川はその名が示す通り、丹砂(硫化水銀)の産地だったとみられ、朝廷はその鉱物資源を狙って飛騨

に侵攻してきたのかもしれません。

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両面宿儺の異形は、インドや中国の武神の姿が移入したものとか、双子の王だったとか、諸説言われてお

り、定説はありませんが、両面宿儺のまさに三面六臂の活躍ぶりが象徴されている様な気がします。


イメージ 2(←)円空作の両面宿儺像。善政を敷く優しき王と、烈火のごとく討伐軍と戦う武人と言う二つの顔を表現している様に思えてなりません。

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ここの所、UFOネタが多かったので、たまにはこんなのもいいかなと…。