「呪われた○○(軍艦の名前が入る)」と言うのは、軍事系怪談の定番だったりしますが、ドイツでは「呪われた
Uボート」の話が好まれるらしく、幾つかそう言う話が残っております。
(Uボートとは、第一次・第二次大戦でドイツ海軍が運用した比較的小型の潜水艦の通称です。戦後ドイツの潜水
艦もUボートと呼ばれます。)
その中でも有名で、良く怪談本などに採り上げられるのが、「呪われたUB-65」の話です。
UB-65は、第一次大戦中の1916年にベルギーのブルージュにある造船所で建造されました。
後に、「呪われたUボート」と呼ばれるようになるこの船は、建造中から不吉な事故に見舞われ、就役前に数々の
不幸に襲われたそうです。ざっと挙げると…
○造船所で鉄骨の落下事故があり、作業員1人が死亡、1人が重傷を負う。
○進水直前に、3人の作業員が機関室に閉じ込められ、有毒ガスにより全員死亡。
○潜水テストの折、甲板からの転落事故があり、一人が行方不明となった。
○そのまま潜行テストを開始したが、沈降が止まらなくなり、海底に着座してしまう。その後、何故か艦は浮上を始め、全員が助かった。
○試験を終え、初出撃の直前に、積んでいた魚雷の爆発事故が発生。5人が死亡した。
まだ、戦う前から9人もの死者を出したUB-65。その後、この潜水艦には、怪異が続けざまに起こります。
魚雷爆発事故の修理を終えたUB-65はようやく初出撃に臨みました。事故で死亡した5人の補充も入り、31人の
乗組員がUB-65に乗り込んで行きます。「29…30…31…32…32!?」タラップを上る水兵たちの人数を確認して
いた下士官は、我が目を疑いました。1人、多い…!!最後尾でタラップを上る男を見た下士官は慄然としました。
その男は、魚雷爆発事故で死んだ二等航海士・リヒターだったのです。日焼けした黒い顔から「シュバルツェ
(黒)」と呼ばれていた大柄な男を、見間違う筈もありません。報告を受けた艦長たちは、下士官の話を到底信じ
られませんでしたが、他にもリヒターが腕組みをして艦首に立っているのを見た者が現れ、只の見間違えとは言
い切れなくなりました。
1918年1月21日、UB-65はイギリス近海を航行していました。バッテリー充電の為に浮上航行中、艦橋に3人の
見張員が出て、周囲を警戒していました。見張員の一人がふと見ると、艦首に人の姿がある。注意しようとした見
張員は、息を呑みました。その人影は、リヒターだったのです。 UB65の艦内は一瞬にして大騒ぎになり、皆が
艦橋に駆けつけて来ましたが、その時にはリヒターの亡霊は消え失せていました。ただ、艦長も艦橋からリヒター
の姿をはっきりと見たのでした。
そして、数週間後にUB-65が港に帰港した時、連合軍の空襲に襲われ、艦長は爆弾の破片で首を切断され、
非業の戦死を遂げました。
さすがの軍当局も、「UB65の呪い」を見過ごす訳には行かなくなりました。潜水艦隊司令が乗り込んできて、
ルター派の司祭も呼ばれて悪魔払いの儀式が執りおこなわれました。
艦長はじめ、一部を除いて乗組員も一新されましたが、その後もリヒターの幽霊は何度も現れて、事故が続発し
ました。砲手のエバーハルトは幽霊がいると叫びながら海に身を投げ、主砲の装填手リヒャルト・マイヤーは波
にさらわれて溺死。機関主任は悪天候の折に、はずみで転倒して足を骨折…。
そして、1918年7月2日、UB-65は消息を絶ちました。撃沈か、事故か、誰にも判りませんでした。
しかし、戦後になって、アメリカ潜水艦がUB-65の爆沈を報告している事が判りました。米潜水艦が、アイルラン
ド西岸クリア岬沖を浮上航行するUB-65を捕捉し、まさに魚雷攻撃を仕掛けようとしたその時、UB-65は大爆発
を起こし、波間に沈んで行ったと言う事でした。爆発の原因は不明でしたが、米潜水艦の艦長は、潜望鏡で奇妙
なものを目撃していました。
爆発寸前、UB-65の艦橋に人影が見えたのです。それは、腕組みをしながら身動き一つしないドイツ海軍士官で
した。米潜水艦長は、「それはまるでこの世のものとは思えない幻影のようだった…」と述べたそうです。
リヒターは遂に呪いを成就させて、UB-65を二度と浮上せぬ海の底へと引きずり込んで行ったのだ…。UB-65を
知る関係者は、背筋を寒くするのでした。
伝わっているテクストによって若干細部は異なりますが、「呪われたUB-65」は概ねこの様なお話です。
野暮は承知で、このお話にどの位真実味があるのかを、ちょっと調べてみました。
まず、この話のタイトルとしては「呪われたU-65」の方がメジャーなのですが、これは微妙に間違いです。U-65
は第二次大戦で使われたUボートで、UB-65とは全く別の潜水艦です。(こっちは別に呪われてはいなかったよう
です…。)
お話に出てくる方の潜水艦も、資料によって「U-65」と「UB-65」の呼称が混在しておりますが、当時の写真を見
ると、艦橋に「UB-65」と書かれているので、正式な呼び方も「UB-65」で良いのではないかと思います。
さて「呪われたUB‐65」ですが、色々調べていると、お話と史実はかなり異なっているという事が判りました。
お話では、UB‐65は1918年7月に米潜水艦の目の前で謎の爆沈を遂げますが、実際はUB-65は第一次大戦を
生き延びております。UB-65は、計11回の出撃で50隻の連合軍艦船を攻撃し、合計95,000トンの敵船を沈めて
います。終戦間際の1918年10月28日、UB-65は洋上廃棄処分となり、自沈しました。場所はアイルランド沖か
らは程遠い、イタリア半島とバルカン半島に挟まれたアドリア海でした(44.52N、13.50E)。
(↓)UB-65の自沈地点。
また、初代艦長は爆撃で首が切断されて戦死したとなっておりますが、初代艦長のHermann von Fischelは、そ
こで戦死はしておらず、23年後の1941年7月1日にはアドミラル(海軍大将)に昇進しており、1950年5月13日に
モスクワの捕虜収容キャンプで亡くなっております。
ちなみに、UB-65の歴代艦長は3人おりますが、UB-65の艦長をしている時に戦死した人はおりませんでした。
蛇足ですが、UB-65はMs型と呼ばれるUボートの1隻です。MsとはMobilisation(=動員)の略で、戦時急造型の
潜水艦でした。この型は、名前が示すとおり、戦争にいち早く投入する為にかなりの突貫工事で製造されたと思
われます。その為、生産現場や試験中の事故発生率は比較的高かったのではないでしょうか。
―と言う訳で、お話と史実を総合すると、UB-65が故障が多く、呪いかどうかは兎も角、不幸な事故につきまとわ
れた艦だった事は容易に推測できます。終戦間際に洋上廃棄処分になったのも、その辺りが要因の一つかも知
れません。
船乗りは迷信深い傾向にあるので、艦内で幽霊話が持ち上がったのも事実かもしれません。(潜水艦の甲板に
立つ亡霊と言うのは、他の「Uボートの怪談」でも聞かれます。)それが、後に伝わるうちに、大きな尾ひれがつい
ていって、最終的に完成したのが「呪われたUB-65」のお話なのではないでしょうか。
良く考えたら、亡霊となって現れるリヒターは本来は呪いの犠牲者の筈なのに、最後はリヒターの亡霊が艦を沈
めたみたいなオチになっているのは、今ひとつ辻褄が合っていない様な気もしますし…。
と言いつつ、上手いオチが見つからないTOでした。
(参考) uboat.net(英文) SCARY FOR KID'S「Haunted Submarine」(英文) 知識の殿堂・「Uボートの怪異」 世界の怪事件・怪人物「№.141呪われた潜水艦」 Wikipedia
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