全国的に有名な「心霊スポット」である花魁淵。

先に記事にしたような謂れがある為か、特に女性に対して優しくない様です。


しかし、所謂「花魁淵」は本当の「花魁淵」ではないと言うのも、また有名な話です。

(ご存知の方は、読み飛ばして下さい…。)


実は、現在の所謂「花魁淵」は、地元では元々「銚子滝」と呼ばれておりました。

件の惨劇の舞台である「花魁淵」は、川を更に遡った「ゴリョウ滝」付近であったとされます。


また、花魁達の悲劇も、実際にあった事なのか、と言う疑問も呈されております。その根拠は…。

○「花魁」との単語は、江戸時代に成立した「吉原詞」で、戦国期にはその様な呼び名は無かった。

○閉山される金山なら、秘密にする必要も無く、よって、花魁の口封じをする事も無かった。
 (「実は武田の埋蔵金の在り処を知る花魁達を殺した。」と言う異説もあります。実際、近年になっても、金塊を抱いた男の水死体が発見された事もあるそうです。)

○「ゴリョウ滝」付近は川幅も狭く、55人が乗る程大きな舞台の設置は不可能。
等々。なんか、野暮な記事になって来ました。

さらに書いてしまうと、

「花魁淵」と言う地名はずっと後になってから付けられたそうです。(あらら…)

明治期、当地を水源地としていた東京の水道局のお役人(確か、中川さんと言う名前だった様な…)

が視察に訪れた際、余り美しい紅葉に「花魁の衣装の様だ。」と感嘆。

「花魁淵」と言う通称をつけたとの事です。


また、慰霊碑ですが、当地は青梅街道が開通した当初より交通事故が多く、(元々大きなカーブの為、

事故も起きやすかったと思われます。)それもあって、某宗教団体が建立したとの話です。


更に、下流のお堂に至っては、元々のものはとうに廃れ現存していなかったが、「大河ドラマ」で信玄を

やった折に、撮影支援と村興しを兼ねて再建された物だそうです。


―こう書いてしまうと、怪談否定論者みたいになって、面白くも何とも無いのですが。

しかし、花魁の悲劇が無かったとしたら、当然花魁の霊が出現する訳も無い。

それでも、主に女性に祟る霊が出るのであれば、それは、違う怨念が当地に籠もっているからでは無いか

…と、思ったりします。


ともあれ、行かない方が良い、と言われる以上、当地に火急の用件でも無い限り、

女性は、足を向けないに越した事はありません。


追伸 なおさん、武家絡みの人が行くと…と言うのは、確認できませんでした。すみません。
私が元武家の家柄でしたら、行ってみて身を挺して実験するところですが、生憎そんな高貴な血筋ではないもので…。