1988-89年。日本中を震撼させた事件です。主犯逮捕後は宮崎勤事件とも言われています。
'88年10月2日、あきる野市の地元新聞に次の様な記事が載りました。(正確にはコラムに書かれた。)
「秋川街道・小峰トンネルの幽霊譚。小さな女の子が道の脇に立っている。車に向かって振る手には
手首から先がない。『たちけて』と、女の子の声を聞いた。」
宮崎勤の逮捕後、小峰トンネル上の雑木林から、被害者である少女の遺体が発見されます。
ここまででも、偶然の一致にしては出来すぎですが、更に驚くのは、記事を載せた新聞の発行人が
宮崎の実父だったと言う事です。
話は違いますが、私個人としては、この事件、腑に落ちない事が多いと感じます。
遺体を切り刻んだと言う宮崎の自室にその痕跡が無い、とか、遺体遺棄した場所を捜索しても何も発見されなかったが、翌日同じ場所を再捜索したらすぐに遺体が発見されたりとか。その他諸々。
遺体を切り刻んだと言う宮崎の自室にその痕跡が無い、とか、遺体遺棄した場所を捜索しても何も発見されなかったが、翌日同じ場所を再捜索したらすぐに遺体が発見されたりとか。その他諸々。
一番不思議に思ったのは、宮崎が犯行途中に車を脱輪させた所を目撃した、と言う話。
最初は犯人の車はカローラⅡだ、とされておりましたが、それがいつの間にかラングレーに変わっていた。目撃したのは、中古車業に携わる人で、間違いなくカローラⅡだった、と証言しているにも係わらず、です。当時は、カロツーとラングレーを間違える訳はねえだろ、と仲間内で話していました。
最初は犯人の車はカローラⅡだ、とされておりましたが、それがいつの間にかラングレーに変わっていた。目撃したのは、中古車業に携わる人で、間違いなくカローラⅡだった、と証言しているにも係わらず、です。当時は、カロツーとラングレーを間違える訳はねえだろ、と仲間内で話していました。