令和2年、最初の映画です。本当はシャーリーズ•セロンの「ロングショット」を観に行く予定だったのが、時間が合わずこの作品となった次第。大当たりでした。

第二次大戦下のドイツの話ながらにして、コメディだ、とは知っていたのですが、思った以上にコメディでした。ヒトラーユーゲントである10歳の男の子、ジョジョが主人公。この男の子がとにかく無邪気で可愛い。多分仮面ライダーに心酔するように、ヒトラーに心奪われていて、まあ洗脳と同調圧力でしかない感じなので本当は怖いんですが、そういう重苦しさはちっとも漂わせないように描かれています。どうしてもナチス関連の映画はシリアスかつ残酷(それが史実なので当たり前ですが)であるのが、タイカ•ワイティティ監督の新しすぎる切り口がなんとも新鮮で、でもきちんと心に届く、素晴らしい仕上がりになっています。

とにかく、ジョジョを始めキャラクターたちの描写が何とも豊かで、チャーミング。ヒトラーですら、ジョジョの空想上の友達になってしまってるものだから、なんだか間が抜けてて憎めない。また、スカーレット•ヨハンソンもお母さんを演じるようになったのかぁと、少し感慨深いですが、これがまた最強のママなのです。他にも、キャプテンKがバカっぽいのにカッコいいし、太っちょのヨーキーもジョジョに負けないキュートさで、皆んな皆んな愛おしい。
また展開に無駄がないというか、きちんと細部まで計算されていることにしびれます。ママのウイングチップのパンプス、印象的だなぁと思っていたら、あんな描写に繋がるなんて...。音楽も素晴らしいし、何より前編を通じてエッジの効いたユーモアに溢れていて、胸が締め付けられるような悲しい出来事がありつつも、観ている間も観終わった後もずっと、全身が温かい愛に包まれているようでした。
アルフォンス•デーケン先生によれば、ユーモアとは、「にも関わらず笑う」こと。最後まで、笑顔を忘れなかったものが勝ち。

私はノーラン監督の「ダークナイト」のファンなので、ジョーカーといえばあのヒース・レジャーのジョーカーなんですが…。この「ジョーカー」を観た後では、ちょっと言葉を失いますね。ジョーカーのような悪人でも、なるべくしてなったんだ、みたいな考え方はあまり好まないのですが、そう思っていても、やっぱりこれは刺さります。そして、今の世の中や、この先の未来が恐ろしくなる。そこに、救いがあるんだろうか、本当はもうどうしようもない世界に、すでになってしまってるんじゃないかと。

「バットマン」を想像していくと、かなり面食らうと思います。これがアメコミ映画だとは、微塵も思えない。まさに息苦しくなるくらいの負の連鎖です。社会から悲しいほどに取り残され、切り捨てられ、その度に人間らしい感情が消えていき、狂気に蝕まれていく。いつも凄惨な事件が起きるたび、どうしてこんな恐ろしいことができるんだろうと思うけれど、もしただの一人も、大切だと思える人がいなかったら、ただの一人からも、自分が必要とされていると思えなかったら、人はどうなってしまうんだろう。ジョーカーになっちゃうんじゃないか。なっても仕方がないとは絶対に言わないけど、それでもなってしまうんじゃないか。「ダークナイト ライジング」で、バットマンが、誰でもヒーローになれると言ったように。

監督の真意はわからないけれど、本当にこれでいいのかと、問われているようにも感じました。
さすが、今世紀最高のロマンチスト、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品です。これは愛なのか、妄執なのか、多分そのどちらでもあり、だからこそ尚更息苦しい。そして、美しい。

タイトルの天文学者とは、主人公エイミーの恋人エドのことで、しかしながら二人一緒のシーンは、映画の冒頭にしかでてこない。不倫関係であり、逢瀬の時間が限られていた二人は、普段からメールなどで頻繁にやり取りし、その空白を埋めていた。でもある日突然、エイミーの元にエドの訃報が届く。受け入れがたい現実に呆然とするエイミーだが、死後もエドからは優しさと愛にあふれた手紙やメール、贈り物が届き続ける。エドが最期にかけた魔法とは❓消滅した後も輝きを届け続ける星のように、死んだ後も愛する人の行く末を照らし続けることはできるのだろうか❓

パソコン画面の中にしかでてこなくても、ジェレミー・アイアンズのその眼差しだけで、どれほど彼がエイミーを愛しているのかがわかる。自分を失った後の彼女を案じ、残されたわずかな時間を彼女へ届ける手紙やDVD制作に費やすなんて、本当に心からどうかしてると思う。私なら、最期の瞬間まで、眠ることも惜しいくらい一緒に過ごしたいと願うだろうが、エドはきっと、エイミーの中で、自分が「死した存在」になることを拒んだのだ。「死」を超えた、永遠になることを望んだのだ。天文学なんてやる人はきっと根っからのロマンチストだろうけれど、まさに命をかけているところからしてやはり尋常ではない。

エドの言葉にある。「僕の罪は、もっと早く君と出会わなかったことだ。そして、もっと多くの時間を君と過ごさなかったことだ」と。その罪のために、自分は死んでいくのだ、と。妄執でもなんでもいい。こんな愛を知ったら、もう知る前には戻れないと思う。なんて狡いんだろう。彼が彼女の人生にかけた魔法は、最高で最悪だ。

そしてこれを不倫の恋にしたあたり、やっぱりこの監督はよくわかってるなぁ、と思う。これが夫婦だったり普通の恋人同士なら、これほど回りくどく絶妙なバランスにはならない。限られた時間と空間の中でしか成立しない恋には、病気や死はタブーなのだ。日常の中の非日常、「今」だけの世界にしかない幸せ。荒々しく容赦のない現実から、最も遠ざけておきたい夢のようなもの。そのことをエドは、ある意味冷徹なほどよく理解していたのだと思う。自分がどこでいつどんな風に死んでいったとしても、彼女にはそれを知る余地がない。それでも、お互いの愛に対する深い信頼がなければ、あの行動にはでられないだろう。それが実は一番、羨ましいのだ。