皆様こんにちは🐰
8月が終わろうとしております。
2024年もあと4か月ですってよ。
年々、一年の過ぎゆくのが音速超えなのをひしひしと感じております。
この感覚は、歳が増えてきたからというのもありますが、もう一つ大きな理由があります。
それは私の日々がとても充実していて面白いから。
面白くないのが嫌なんです、私。
病氣をしても、しんどいけれど面白い体験をしているというお得感があります。
この感覚はなかなか理解されにくいのですが、事実だからしょうがない。
生来の体力のなさや、病氣のしんどさや辛さは、経験した人にしか分からないものです。
身体が大きく丈夫そうに見えるが故に、全く理解されず嘘つき呼ばわりされることもあり、とても悲しい氣持ちになったこともたくさんありました。
初対面の人から心無い言葉を笑いながらぶつけられたこともあります。
何度も。
(多分その人たちは今、人と自分を比較しながらさぞやつまらない日々を送っていることでしょう←根拠はないが確信しているおめでたい私)
それでも、そういう心身の痛みをたくさん経験してこれたからこそ、それを私の魂が望んだからこそ、結局は面白いと思うに至るんだろうと思いますし、今の仕事が成り立っているのだろうとも思います。
ところで。
話がちょっと飛びますが、宜しくお付き合いください。
鬼滅の刃という作品を読んだり見たりしている人は記憶していると思いますが、柱稽古編の最後の方で、鬼を殲滅する鬼殺隊を率いてきた長の一族である産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)が、鬼の始祖である鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)と対峙し「君は、この千年、一度も、誰からも、赦されていない」と言う場面がありました。
人を喰らう鬼の始祖として千年間も生き続けてきた鬼舞辻無惨は、人間だった平安時代、病弱だった自分を受け入れることが出来ず、薬の力を借りて太陽の光にさえ当たらなければ不死身となる肉体を手に入れました。
「神も仏も会ったことがない。千年も生き続けているということは、私は赦されている」という鬼舞辻無惨の考え方に対して、産屋敷耀哉は「君は、一度も赦されていない」と返した名場面はとても印象的です。
この鬼の始祖も元は人間であり、病、つまり肉体死を恐れていたということです。
千年間、不死身の肉体を手に入れたように見えても、実は陽の光に当たればたちまち焼けて死んでしまう、という恐れを抱えてきた鬼舞辻無惨の恐怖心は並大抵ではないでしょう。
人間であればいつか必ず肉体死を迎えるわけですが、どうしてもそれを受け入れることが出来なかったのでしょう。
プライドが高く、人よりも病弱であったことが大きな劣等感である彼にとって、人としての当たり前である「死」を受け入れることは、千年経ってもできなかったことだという事です。
「死は避けようがない」という現実を受け入れる勇氣を持てずに生き続けていることの方が、よほど苦しみを終わらせない地獄であるということが、鬼舞辻無惨には理解できなかったのでしょう。
「死」を恐れ続けて苦しみ続ける、つまり楽になることを選ばずに千年間も生き続けるよりも、自然の摂理に身を委ね、肉体死を受け入れ、すぐに元氣な赤ちゃんとして転生し、何度も転生を重ねてその都度人生を謳歌した方が、よほど楽しく幸福な千年間だったのではないかと思います。
けれどもそれがどうしても出来なかったのは、「私は特別な存在である」という著しい勘違いに縛られていたからでしょう。
彼にとっての絶望は、「人よりも劣っている自分」を認めることです。
病弱であることは劣っていることではないのですが、彼はそんな風に思い込んでしまったということです。
彼は劣等感を克服するためには、絶対的な優越感が必要だと考えたのでしょう。
ただひたすらそれだけを追い求めるようになりました。
理想の自己像への執着の始まりです。
不死身であることが、他の誰も手にすることが出来ない最強最上の価値だと認識していたために、それを手に入れさえすれば全人類より優位に立ち続けられる、と思っていたのでしょう。
つまり、真の自己に背を向けて「幻想」に自己を当てはめれば、必ず全てが満たされ「幻想=自己」になれると思っていた……ということですね。
けれども哀しい哉かな、どこまでいってもそれは、幻であり、まやかしです。
さて、ここまで鬼滅の刃の話にお付き合い下さり有難うございます。
話を戻します。
以前から「前向きな絶望」というワードを鑑定の際に使用していますが、私の鑑定をお受けになった方の中でも、そのワードを私の口から聞いた方も多いと思います。
紫微斗数という命学では「化忌」という星が「前向きな絶望」の作用をします。
厳密に言えば、作用というよりご自分の魂の意志によって決め、覚悟の上で生まれてきています。
今世において、自分にとって最も幸福で満たされるためのプロセスとして「前向きな絶望」を設定して生まれてきています。
化忌星は、幻想の自己を見せ、自己の心と行動を縛ります。
けれどもその幻想が、幻想でしかなかったこと、そしてその幻想を抱え続けてきたことが最も自分を苦しませ続けてきたということに氣付くこと、それが「前向きな絶望」です。
こうなれば、ああなれば、こうなりさえすれば……などの条件付きの幸福への執着を抱えている間は、鬼舞辻無惨のように千年でもその苦しみから逃れることはなく、幻想と真実を見紛い、もがき続けるのでしょう。
誰しも自分の真の姿を捉えることはできません。
しかし、幻想の自己像を捨てることはできます。
とても勇氣の要ることですが、苦しんできた自分のこれまでを「もうじゅうぶん苦しんだ。ゼロになっていい。今の自分をすべて受け入れよう」と、今までの自分を成仏させることで、想像もしなかった光の道が目の前に開けてきます。
自分の苦しみを終わらせるのは「前向きな絶望」をする勇氣です。