生まれた日の

生まれた時間の

1時間1分前。

何故か目が覚めた。


いつも起きる時間まで

まだ3時間ある。


そのまま

自分が生まれた時刻を

迎えることにした。


半世紀前の今日、

日の出5分後に生まれたらしい。



すこぶる安産で

母が分娩台に乗って

足をかける時には

既に頭が出てきていたらしい。


看護師さんが

「ちょちょちょちょっと待って~!」

と慌てたが

「無理-! だって出てくるもーん!」

と母が叫びながら

ギリギリセーフで取り上げられた赤ん坊。


「女の子ですよ~🎵」の声に

「えー!?  また女ぁ!?びっくり」と

期待外れの氣持ちを

あからさまに声に出したらしい母。


すまんのえー


とにかく「せっかち」なベビーだった。



6~7分早く生まれていたら

私の命盤は別人のものだった。


仮に、

90分遅く生まれていたところで

私の命盤は

今世のものと変わりはしない。


ということは

紫微斗数的な視点で言えば


その日の夜明け、

つまりその日の氣が

陰から陽に転ずる瞬間に、


言い換えれば


陽の氣が始まるその瞬間を

あえて私が狙っていたとしか

思えない。



私は

どうしてもそのタイミングを

人間として転生する最後の旅の

始まりにしたかったらしい。



命学を扱う占い師をしていれば

自然と分かることだが


誰もが

たまたまその時間に

産まれたのではない。


たまたまその時間に産まれたから

そういう星の宿命や運勢を

持つことになるのではない。


必ず魂の意思によって

その日のその時間を選び

今世の旅をスタートさせている。


今世でどのような親から産まれ

どのような人たちとめぐり逢い

どのようなプロセスを経て


3次元と4次元という制限の中で

人間としての今世を体験するのかを、


魂の強い意思によって

選んでいる。


その日のその時間に

産まれていなければ

出逢う人とも出逢うことはない。


出逢うその相手もまた

私と出逢うという今世は成立しない。



西洋系の占星術だと

公転周期の短い惑星などは

他の惑星と形成する角度が

早いペースで変わるし、


サビアンシンボルも

角度が1度違えば

異なるテーマとなるわけで、


特に個人の性質に影響するような

太陽に近い惑星がもたらす作用は

全く異なってくる。


それはつまり、


宇宙という大きな摂理の中で

その摂理の力の全面的な援護を受け、


尚且つ

摂理という力を活かして

自分の宿命や

個としての質を計算した上で、


「この私でこういう地上の学びをする」

と決め撃ちして産まれてきた、

ということに他ならない。


「こういう地上の学び」をする為には

「この私」でなければ成立しない

のだから、


絶対にその日、その時刻に

「この私として誕生することを選んだ」

ということになる。


ならば、


「こんな自分の性格が嫌だ」

「自分はこんなにもツイてない」

「こんなはずじゃない」

「あんな奴と出逢わなければ……」


などという「不満や文句」の全ては

お門違いとしか言いようがない。


如何なる苦難や苦悶も悲しみも

「その経験を通じて学ぼう」

という強い意思に基づいたものであり、


「その人生は自ら望んだものである」

という事に於いて

疑いの余地などないのだ。


それゆえ

「己の人生に言い訳など通用しない」

のは当たり前で、


それどころか

「私の意思のとおりに経験できました。やったね!私。ありがとう、宇宙の摂理」

でなければおかしいだろう。



自ら選んだ

「今世の地上の学びという旅の栞」

を作るに当たって

全面的に協力してくれている

宇宙の摂理からすれば、


おやおや?

全部あなたの望みどおりにしか

作用させていませんが、

いったい何がご不満なのでしょう?

まぁそれもあなたの意思の選択ですから

構いませんが。

あくまでも私どもは援軍であり

あなたのその瞬間の魂の意思に

ぴったりな作用を提供するまでです。

不満を選択している今のあなたに見合う

不満な事を提供しているだけです。


というクールな計らいを

せざるを得ないだろう。


その反対に、

自ら喜びや感動を選択し

生きている今に感謝し続ければ


今あなたは愛の光を自ら生成し

その光を育て拡げていますね。

あなたの魂が自ら選択したその光に

ぴったりなものを提供しましょう。

あなたの意思に反するものは

決して提供しません。

私どもはあくまでも援軍です。

あなたが光を選び続けるからこそ

光のギフトを提供し続けているのです。

遠慮なく受け取ってくださいね。


という温かな計らいをするだろう。



実際に私は3日前、

これまでの人生で経験したことのない

最高のギフトを受け取った。


有り難いことに人様からも

形ある素敵なプレゼントを頂いたが、

天からは「祝福サイン」という

例えようのないギフトを授かり

喜びと感動に包まれた。



生まれた日と

生まれたその時間は

地上に転生すると決定したときの

魂の意思に従い選択したものであり、


この世のものではない

最高のギフトを受け取る

という貴重な体験もまた、


無自覚な私の意思で「受け取る」ことを

選んだからこそ得られたのだと思う。



宇宙の摂理から見れば

望まない人生など一つもなく


より試練や苦難の多い人生を選んだ人は

濃いアトラクションを多く経験したいと

望んで生まれたに過ぎない。


確実に言えるのは、

何事もない人生など一つもない

ということ。


そして

「苦しむ」という不幸な習慣を

先入観と共に捨て去り

精神の自立をして幸福になる選択肢は

いつでもその手の中にあり、


真の幸福を選ぶための

勇氣と覚悟さえあれば

今この瞬間から始まるということを


すべての方々が歩んでおられる

尊いその人生へ

僭越ながら私からの返礼として

伝えたいと思う。