30年。
初めて出逢った時から、間もなくそのくらい経つ。
学生の頃に所属していたラクロスチーム。
私は一年しか居なかったけど、集まろうと声をかけてくれる同期の優しさ。
当時、ポジション直属の先輩が一人だけ居た。
一切飾らない人柄で、懐の深さは大河のよう。
努力の人でもあった。
この先輩を一言で表すと「奉仕の人」だ。
そこに居てくれているというだけで、チーム全体の安心感があった。
所属したのは一年という短い期間だったけど、私の生涯のなかでも心から尊敬し、感謝をしてもしきれない人の一人がその先輩だ。
生きている内に当時の感謝と恩返しをしなければ、死んでも死にきれないだろうと、この一年くらい頭から離れなかった。
遂に今日、そのチャンスを授かった。
同期の提案と計らいのお蔭で、30年ぶりに先輩と再会した。
「その節は本当にお世話になりました。有難うございました」
と、先輩に腰を曲げて頭を下げた。
先輩の人柄は全く変わらないどころか、むしろこんなにも美しい瞳をした人だったのか、と感動した。
自宅を再会場所に提供してくれた同期の一人も、同じ感動を覚えたらしい。
自分が他者からどう見えてるかはさっぱり分からないが、少なくとも私以外のお三方は「美しい人たち」だった。
各々に強い痛みを抱えて生きてきたけれど、こんなにも透明で美しい眼をしている彼女たちの魂の素晴らしさには圧倒される。
50近くにもなれば、順風満帆なことばかりではない。
苦行とも呼ぶに相応しい半生を生きてきたと言っても過言ではない経験をしているメンバーもいる。
それでもなお、
「眼の光が赤ちゃんのままの眩しさ」
を湛えていることが、どれほど凄いことで凄まじいことか。
紫微斗数タロットを持参し、今日のメンバーの繋がり、会の意味を観てみた。
「痛みを乗り越えた今、もはや私たちに不可能はない。各々の話から私たちは学ぶことが出来る。支え合うことが出来る。勇気をもって胸を張り、生きていくべし」
そんなカード展開だった。
生き様は、かならず眼に出る。
顔は履歴書だ。
絶対に嘘はつけない。
愛と配慮の体現者が、今日は私の目の前に三人も居た。
何て有難い、何て幸せなことだろう。
神様、ありがとう。
彼女らとそのご家族が安寧に包まれ、心身の健やかさによって温かく満たされますように。
合掌