皆様こんにちは。
こちら大阪や兵庫は(阪神間地区)、デパートや大きな商業施設や地下街もシャッター街になり、景色がどんよりしています。
昨年の今頃、完全に街が死んでいたのを思い出してしまいます。
けれども昨年と明らかに違うのは、人の往来の多さです。
「人として当たり前の暮らしをする」という人々の意識を感じます。
「そんなもんいつまでも待ってられるか!好きにさせてもらうわ!」という関西人的性質の表れかもしれません。
振り返れば、戦後の復興を支えたのは、お上の指示を無視して闇市などの独自ルールで「自由に」やってきた商魂逞しい人達であり、「今日を懸命に生きた」その人達が後の経済発展の礎を創りました。
お上の言う通りにしていたら餓死者が何十倍、何百倍も多く出ていたことでしょう。
阪神大震災からの復興も、お上を当てにしないことで自助努力と互助意識が発揮され、目を見張る早さで進みました。
大阪の往来の様子は、「自分の人生は自分でどうにかする」という、人として当たり前のあり方を見せてくれているように思え、私は希望を持っています。
かく言う私の身辺は医療従事者率が高く、
「感染しないように、その他の病気にもならないように気を付けて!保険証があっても今は診察も治療も受けられませんよ!」という考えが当たり前にあります。
それでも各々が外食や外出は行きたいときに行っておりますし、尚且つ私の近親者から感染者は一人も出ていません。
現在、大阪梅田の街では20時以降閉店している飲食店や、GW中は完全休業している飲食店が目につきます。
殆どの飲食店もデパートも何も悪くなく、皺寄せをそこへ集中させる理不尽きわまりないお上の要請には情けなくなりますが、お上の残念さを追求している暇などありません。
これからの時代は「病ありきの時代」になることが紫微斗数占いでも明確に出ています。
しかし、病があってもそれそのものが不幸を意味するのではありません。
病を恐れるあまり萎縮し、人間らしく心豊かに生きることを忘れ、情報にとらわれた旧い価値観によってしか物事を考えられず、堂々巡りで行動も出来ないという事が、これから30年間に渡り社会の唯一の闇となる、ということも紫微斗数には表れています。
「人流を止める」のは波動や氣を下げるだけの極めて愚かな策です。
水と同じで、留まれば淀んで腐ります。流れているから汚れは溜まらず流されて清浄さが保たれるのです。
自粛という呼び方に誤魔化された人々は、自粛ではなく「萎縮している事」に気付いていません。
大人数でバカ騒ぎするのではなく(→周囲への迷惑になりそれが負の意識を生みます)、善き友との楽しい飲食やイベントなどは、マスクと手指消毒と適度な換気という、愛と配慮さえ忘れなければ自由にやるべきだと思います。
人は肉体によって生きているのではなく、普遍的な意識によって肉体を機能させています。
心が死ねば、この世は生きる屍で溢れ、その後、肉体死で溢れかえります。