お墓参りへ行ってきました。



雨の予報で傘を持って行ってましたが、帰宅まで降ることなく過ごせました。




30年前もちょうど満開で、横たわる母の隣で車窓越しに桜のトンネルを見上げて「ほら、きれいだね」と呟きました。





神戸の山にあるその場所からは、青々とした木々と、遠くには海が見えます。



母自身が気に入って選んだそこへ当人が早々に入ることになるなんて、建立時は思っていなかったでしょう。



とにかく激しくて、生き急いで生涯を駆け抜けた母でしたが「早すぎるよね。でもそこがまた《らしい》んだよね」と、未だに惜しんで下さる方々ばかりです。




草むしりをしながら父が、
「当時はそこまでそんな風に思わなかったけど、今になって考えたらやっぱり早いよなぁ。お前の歳より若い時やからなぁ」 と、笑って言いました。



人なんて、来週も生きてるかどうかさえ本当に分からないもの。

「明日も生きてるつもり」で、生きています。


肉体が無くなることは存在が無くなることではありませんが、肉体あればこそ出来ることがあります。


「肉体が保たれている」うちに色んな事をやっていこうと思います。