皆様こんにちわ。

 

地元の駅は桜桜が七分咲きになり、いよいよ春到来!という趣でございます。

お花見には寒いですが、桜を愛でる素晴らしい季節になりました。

 

だから、というわけではございませんが、長らく愛用しておりました仕事用のバッグカバンがあちこちほころびが目立つようになりまして、買い替える時期が来たなぁと思っておりました。

 

ノートPCを始め、その他諸々荷物が多い私の日常を満たしてくれて、尚且つ頑丈で女性が持ってもそれなりにおかしくない物を・・・とネットサーフィンを繰り返す日々に疲れてきて、諦めかけていた先日、病院帰りに立ち寄った西宮阪急のメンズバッグ売り場で「これだ!」と思う今の私にとって理想的な一品が見つかりました。

 

私  「このかばんの、そっちの色のを、」

店員 「はい、お持ちいたしますのでご覧ください。」

私  「買います。下さい。」

店員 「えっ?‼ あ、は、はい。有難うございます!」

 

カバンのサイズをメジャーで測ってもらい、ファスナーを開けて中の収納を確認し、5分ほどで決まりました。

 

決まる時って、こういうものですね。

私の買い物って、だいたいこんな感じで、気に入ったら即決です。

 

 

ちなみに、如何にもブランドものです、っていうモノグラム系は嫌いです。

ブランドはどうでもよく、とにかく機能性重視で、デザインも気に入って、有り得ない高額なものでなければ買う、というタイプです。

 

 

今回は、ネットでどれだけ探しても見つからなかったのに、ふらりと入ったお店ですぐに見つけることが出来ました。

革の質感、重さ、手馴染み、などなどやはり実際に手に取って見てみた方が納得がいくものです。

 

全く未知のメーカーだったので、帰宅して検索してみたら、ありました。

Amazonでも買えるみたいですね。

あんなに検索してみてもこのメーカーに辿り着けなかったのに、デパートに行ったら堂々と陳列してありました。

 

不思議。

 

 

メーカーのウェブサイトを見ると、『かばん・オブ・ザイヤー最優秀賞受賞』だそうです。

 

へー。

 

そんなこととはつゆ知らず、即決で購入した自分の目に、ちょっと自信持ちました(笑)。←お調子者。

 

 

しかし、『かばん・オブ・ザ・イヤー』って…。

そんな賞があったとは。

最近は、なんでも「○○オブ・ザ・イヤー」ってあるのですね。

 

 

 

 

今回、バッグについては探しに探して理想の物を見つけることが出来ました。

今の私にとっての、理想のもの。

 

でも、これは物だからこそ手にすることが出来たんですね。

そして、あくまでも今の私にとっての、理想です。

ライフスタイルが変わればまたその理想は変わるでしょう。

 

物ですら「今の受容に合った理想」です。

 

 

 

これが、『人』だったらどうでしょう。

 

 

 

 

理想の人。

 

 

残念ながらそんな人、存在しません。

 

 

 

 

ええええええええっっ?‼ そんなぁぁぁぁあああぁぁぁ‼‼ゲッソリ

と思いますか?

 

思うかもしれませんね。

 

 

では、分かりやすいようにひっくり返して見てみましょう。

 

 

 

 

あなたは誰かの理想の人で居続ける自信はありますか?

 

 

 

 

あるわけないですね。

正直困りますよね、そんなこと求められても。

ハッキリ言って、迷惑ですよね。

 

誰かの理想を押し付けられ、ずっとそれを演じ続けねばならないなんて、生き地獄です。

 

なのに、相手にはそれを求め続け、見つからないと嘆きながら彷徨っているとしたらどうでしょう。

こんな不毛なことありませんね。

 

 

けれども無意識にそうしていること、ありませんか?

 

 

理想の恋人。

理想のパートナー。

理想の親。

理想の子供。

理想の友達。

理想の上司。

理想の部下。

理想の同僚。

 

 

そして、理想の自分。

 

 

自分自身が理想の自分なんかでは決して無いにもかかわらず、他者にはそれを求めているのは褒められたことではありませんよね。

 

 

仮に、「自分は非の打ち所がない完璧な存在である。」と本気で思っている人が居たとしたら、そう思っている事こそが最大の欠点です。

 

 

『相手が理想の○○じゃないから、私は満たされない。』

 

大きな間違いです。

 

たとえそれが『普通の人であってほしい』と思っているだけであったとしても、その『普通の人』こそ自分が求めている『理想』であることに気付かなくてはなりません。

 

 

自分自身がどんなに願っても、理想の自分など手に入るわけがないことに気付きましょう。

 

他の人が順風満帆に見えることもあるでしょう。

苦労知らずで成功しているように見えることもあるでしょう。

 

けれどもそれは、「そう見える」だけのことです。

 

その人の苦労や、影の努力の積み重ね、挑戦し続けるタフさ、根性、度胸、リスクなど、それらの暗部すべてを見ようとしていないからこそ、『理想の○○』があると盲信し続けてしまうのです。

 

自分が無意識に他者に対して「見せている自分」があるように、相手も同じなのです。

 

 

一点の曇りもない人など、居るはずがなく、それはお互い様なのです。

 

 

 

「理想の自分ではないこと」をまず、素直に受け入れましょう。

そして、理想の自分ではないことが、最も自然なことであることに気付きましょう。

 

 

誤解のないように申し上げますが、目指すことは良いことだと思います。

成長と進歩はむしろ望ましいことです。

 

但し、自他に対して『理想通りではない=ダメ』だと思うのは、よろしくありません。

 

 

歯車に溝や欠けが有るのが当たり前なように、人にも溝や欠けがあるからこそ、他を受け入れ、相手からも必要とされ、互いに回し合い、機能が生まれることを知りましょう。

 

 

 

理想とは、しばしば底なしの欲望となります。

 

 

『理想の○○』に縛られている間は、満足することもなく、終わりのない渇望に苛まれます。

見たいものしか見ていない自分の目が、最大の弊害です。

 

 

 

もし、

「理想の○○がどうして居ないのだろう」、

「○○はどうして自分の思い通りになってくれないのだろう」

「どうして理想の人生が手に入らないのだろう」

と思ったら、

 

 

『理想を向けられて一番困るのは自分』だという事を思い出してください。

 

 

 

 

理想を持たない人こそ、実は一番のクローバー幸せ上手クローバーなのです。