ジジェクを敷衍して言うと、この世の中は、「誰かがちゃんとやってくれているのだろう」、という幻想でもっているように思えます。ジジェクが良く使うラカンの概念の「知っているはずの他者」という奴です。
どんな会社に勤めていても、みんな、「うちの会社って本当いいかげんだなぁ。こんなんでいいのかなぁ。」と思いながら働いていることかと思います。面白いのは、どの会社(組織)に勤めている人もそう思いながら働いているところです。でも、同時に、「どこかで、誰かがちゃんとやってくれているはずだから、まぁ大丈夫だろう。うちの会社が潰れることはあっても、世の中全体が崩壊してしまうことは無いだろう。」と、(無意識のうちに)思っているはずです。
みんながそう思っているということは、その論理的帰結として、「どこかでちゃんとやってくれているはず」の、「知っているはずの他者」というのは、実際にはどこにもいないということです。
厚労省の人がちゃんとやっているわけではないし、検察のトップの人がちゃんとやっているわけではないし、よくよく聞いてみると、アメリカの中央銀行のトップが、バブルを止めることも、崩壊を防ぐこともできないと公言しているのです。ただ根拠もなく、「結局最後には、「市場」が、落ち着くところに落ち着かせてくれる。」という「市場信仰」を告白する以上のことは何もしていないのです。
「知っているふりをさせられていたマエストロ」というところでしょうか。重要なことは、そういう役回りを演じなくてなくてはならない人が必要とされるということです。中央銀行総裁というのも、現代のシャーマンみたいな者かもしれません。いつの時代にもそんな占い師(ペテン師)というものが、世の中がうまくまわっているという幻想を抱き続けるためには社会的に必要とされるのでしょう。FRB議長という立場は、良く言って、市場原理主義信仰者のローマ法王といったところでしょうか。
またしても、ラカンを使うジジェクを敷衍して言わせてもらえば、ジョージ・ソロスという投資家(利殖家)には、何か「過剰」なものがまとわりついているように見えます。
ウォーレン・バフェットやジム・ロジャースといった、蝶ネクタイの似合う、気の好いアメリカ人、といった典型的な利殖家とは違って、ソロスからは、いくら慈善活動をしてみせようが、どこかダークな、悪魔に魂を売ったファウストのようなイメージが拭いきれません。
勿論、バフェットやロジャースも、マスコミには見せない、冷酷非情な吝嗇家の顔を持っているのでしょう。しかし、彼らはあくまで利殖家です。自分の資産を増やすことに貪欲なだけです。
しかし、ソロスには、単に自分の資産を増やすこと以上の、「悪魔的」な欲望を感じます。ラカン(ジジェク)の言葉を借りれば、「死の欲動」といった、自分でも制御出来ない力に突き動かされてようなところを感じます。単に金儲けをするためだけだったら、そこまでする必要はないのに。相場の世界で生き残りたいなら、そこまで勝負をする(リスクを取る)必要はないのに。という感じをもちます。
バフェットは、彼なりの金融資産の算定方法を持っていて、それより安い値段なら買い、高ければ買いません。完全に経済合理性に基いた投資行動です。しかし、ソロスの投資は、市場が「本質的」に歪んでいることを、人間が「本源的」に誤った判断を下す存在であることを、全世界の人間に見せつけてやろうとするような、歪んだ「過剰」を伴っています。
金持ちが更に財産を増やそうとするのは「健全」な行動です。しかし、ソロスには、無意識のうちに、自らの破滅を望んでいるような、更に言えば、自らとともに、世界全体を地獄に引きずり落としてやろうと言う衝動に突き動かされているような「病的な」「崇高さ」を感じます。
ソロスの家族は、ハンガリーに住むユダヤ人で、彼の父親は第一次大戦でオーストリア・ハンガリー帝国のために戦い、結局ソ連の捕虜になり、命からがら帰郷しました。その次はナチスによる占領です。ソロス一家は、ユダヤ人であることを隠す偽装の身分証明書を手に入れることによってナチ時代を生き延びました。次は、ソ連による支配です。ソロスはイギリスへと脱出します。イギリスで待っていたのは、社会からの阻害と、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでのあまりにおめでたい一般均衡理論の講義でした。
「完全に競争的な市場が、資源の最適配分をもたらす。」という結論が最初にありきの、あまりに出来すぎた所謂新古典派経済学が、ソロスのような人間に、現実離れした馬鹿馬鹿しさしか与えなかったのも無理はないような気がします。
ソロスは自ら魂を売った悪魔であると同時に、振り払うことのできない「亡霊」達を背負って、否、「亡霊」達によって生かされている人間なのかもしれません。20世紀のアンフォルタスとでも言うべきでしょうか(彼は背中の痛みに苦しめられているそうです)。
彼のせいで生活を破壊された人間が世界中に幾らでもいるでしょう。彼は人間ではありません。彼は、自己破壊衝動に取り付かれた「資本主義」そのものかもしれません。もし、資本主義システムを破壊することのできる人間がいたとしたら、それは「共産党」などではなく、ソロスのような悪魔でしょう。彼も80を越えました。彼の後、単なる利殖を越えて、市場自体を「ぶっこわす」衝動に取り付かれた人間が出て来るのでしょうか?
『神々の黄昏』第2幕の最後の場面、悪の陰謀うごめくクライマックスを貼っておきましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=TH14ElwOA6M&feature=related
どんな会社に勤めていても、みんな、「うちの会社って本当いいかげんだなぁ。こんなんでいいのかなぁ。」と思いながら働いていることかと思います。面白いのは、どの会社(組織)に勤めている人もそう思いながら働いているところです。でも、同時に、「どこかで、誰かがちゃんとやってくれているはずだから、まぁ大丈夫だろう。うちの会社が潰れることはあっても、世の中全体が崩壊してしまうことは無いだろう。」と、(無意識のうちに)思っているはずです。
みんながそう思っているということは、その論理的帰結として、「どこかでちゃんとやってくれているはず」の、「知っているはずの他者」というのは、実際にはどこにもいないということです。
厚労省の人がちゃんとやっているわけではないし、検察のトップの人がちゃんとやっているわけではないし、よくよく聞いてみると、アメリカの中央銀行のトップが、バブルを止めることも、崩壊を防ぐこともできないと公言しているのです。ただ根拠もなく、「結局最後には、「市場」が、落ち着くところに落ち着かせてくれる。」という「市場信仰」を告白する以上のことは何もしていないのです。
「知っているふりをさせられていたマエストロ」というところでしょうか。重要なことは、そういう役回りを演じなくてなくてはならない人が必要とされるということです。中央銀行総裁というのも、現代のシャーマンみたいな者かもしれません。いつの時代にもそんな占い師(ペテン師)というものが、世の中がうまくまわっているという幻想を抱き続けるためには社会的に必要とされるのでしょう。FRB議長という立場は、良く言って、市場原理主義信仰者のローマ法王といったところでしょうか。
またしても、ラカンを使うジジェクを敷衍して言わせてもらえば、ジョージ・ソロスという投資家(利殖家)には、何か「過剰」なものがまとわりついているように見えます。
ウォーレン・バフェットやジム・ロジャースといった、蝶ネクタイの似合う、気の好いアメリカ人、といった典型的な利殖家とは違って、ソロスからは、いくら慈善活動をしてみせようが、どこかダークな、悪魔に魂を売ったファウストのようなイメージが拭いきれません。
勿論、バフェットやロジャースも、マスコミには見せない、冷酷非情な吝嗇家の顔を持っているのでしょう。しかし、彼らはあくまで利殖家です。自分の資産を増やすことに貪欲なだけです。
しかし、ソロスには、単に自分の資産を増やすこと以上の、「悪魔的」な欲望を感じます。ラカン(ジジェク)の言葉を借りれば、「死の欲動」といった、自分でも制御出来ない力に突き動かされてようなところを感じます。単に金儲けをするためだけだったら、そこまでする必要はないのに。相場の世界で生き残りたいなら、そこまで勝負をする(リスクを取る)必要はないのに。という感じをもちます。
バフェットは、彼なりの金融資産の算定方法を持っていて、それより安い値段なら買い、高ければ買いません。完全に経済合理性に基いた投資行動です。しかし、ソロスの投資は、市場が「本質的」に歪んでいることを、人間が「本源的」に誤った判断を下す存在であることを、全世界の人間に見せつけてやろうとするような、歪んだ「過剰」を伴っています。
金持ちが更に財産を増やそうとするのは「健全」な行動です。しかし、ソロスには、無意識のうちに、自らの破滅を望んでいるような、更に言えば、自らとともに、世界全体を地獄に引きずり落としてやろうと言う衝動に突き動かされているような「病的な」「崇高さ」を感じます。
ソロスの家族は、ハンガリーに住むユダヤ人で、彼の父親は第一次大戦でオーストリア・ハンガリー帝国のために戦い、結局ソ連の捕虜になり、命からがら帰郷しました。その次はナチスによる占領です。ソロス一家は、ユダヤ人であることを隠す偽装の身分証明書を手に入れることによってナチ時代を生き延びました。次は、ソ連による支配です。ソロスはイギリスへと脱出します。イギリスで待っていたのは、社会からの阻害と、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでのあまりにおめでたい一般均衡理論の講義でした。
「完全に競争的な市場が、資源の最適配分をもたらす。」という結論が最初にありきの、あまりに出来すぎた所謂新古典派経済学が、ソロスのような人間に、現実離れした馬鹿馬鹿しさしか与えなかったのも無理はないような気がします。
ソロスは自ら魂を売った悪魔であると同時に、振り払うことのできない「亡霊」達を背負って、否、「亡霊」達によって生かされている人間なのかもしれません。20世紀のアンフォルタスとでも言うべきでしょうか(彼は背中の痛みに苦しめられているそうです)。
彼のせいで生活を破壊された人間が世界中に幾らでもいるでしょう。彼は人間ではありません。彼は、自己破壊衝動に取り付かれた「資本主義」そのものかもしれません。もし、資本主義システムを破壊することのできる人間がいたとしたら、それは「共産党」などではなく、ソロスのような悪魔でしょう。彼も80を越えました。彼の後、単なる利殖を越えて、市場自体を「ぶっこわす」衝動に取り付かれた人間が出て来るのでしょうか?
『神々の黄昏』第2幕の最後の場面、悪の陰謀うごめくクライマックスを貼っておきましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=TH14ElwOA6M&feature=related