2005年7月から2006年4月までに合計7回ボラカイ島を訪れた。

2007年1月に定年退職する私は、退職したら絶対ボラカイに住もうと決めていた。

 

そこで、顔なじみになった、ダイブショップのインストラクターにボラカイへの移住希望を伝えた。。

彼は、フィリピン人の奥さんと結婚して、3年ほどボラカイに住んでいた。

私は旅行者で有り、彼はボラカイにフィリピン人妻と住む住人である。

 

当然良い所ばかり見ている旅行者と、生活している住人では、見方や評価が違う。

特に彼の奥さんの不満が強く、彼の意見に大きく反映している。

 

彼が最初に行った言葉が「ヤマハさん、ボラカイは、フィリピンで1番物価が高い島と妻に責められています。」

「移住するなら、近くの他の島に住んで、時々ボラカイに遊びに来れば良い。」とアドバイスされました。

 

なるほど!!当時のボラカイはフィリピン政府が第1に観光資源として、世界に情報発信をしている。

フィリピンで最大の観光収入を上げ設備も整備されつつ有り、フィリピン内では充実している場所だった。

観光客には快適な旅行で有っても、生活物価が高いのは、今後年金生活になる自分には、金銭的に問題だ。

 

そこで、第2の候補地として浮上したのがボラカイに飛行機で1時間の所に有るセブ島だった。

セブ島なら、成田空港から直行便が飛んでいるし、悪名高いマニラ空港に行かなくても良い。

ボラカイに行くには、マニラ空港で乗り換え、プロペラ機でカティクラン空港行きに乗らなければならない。

マニラに着いてから、当日のボラカイ行きのフライトをチェックすると、当日便が満席で乗れない日も有る。

その場合は、マニラで1泊となるが、治安の良くないマニラには泊まりたくない。

 

そこで、2006年6月に再度海と旅行が大好きな次男を連れて、初めてセブ島を訪れた。

この時は、リゾートホテルに宿泊し、次男は初めてのダイビングライセンス取得も行った。

海や自然の美しさでは、若干ボラカイより劣るが、日本の海に比較すれば十分奇麗で水温も高く、満足できる。

 

そんな背景が有り、ボラカイへの移住希望が、一遍でセブ島移住に変わってしまった。

その後、一人で同年9月と11月、12月と合計4回セブ島を訪れ、定年後の移住先はセブ島に決定した。

 

待望の2007年1月になると、定年退職となり会社に出勤する必要が無くなった。

私の気持ちは100%セブ島に飛んでいたが・・・

退職金を受け取り、年金の手続きをして、数か月セブ滞在を希望していたが・・・問題発生。

失業保険の受取には、毎月ハローワークに通い、新しい職場を探していると言った、就職活動をしないと貰えない。

 

40年も働いて積み立てて来た失業保険が全く受け取れないとは・・・・なんたる事か?

そこで、2月から8月までは15日ボラカイ、15日日本滞在と言う、航空運賃無駄使いの生活となった。

 

これだけボラカイとセブ島通いを続ければ、妻も黙ってはおらず、離婚の手続きをして、年金分割を要求して来た。

妻とは人生の価値観や将来計画で意見が違い、何度も話し合いをしたが解決せず、2年前から別居状態だった。

 

私は年金の金額が半減するのは辛いが、それより自分がやりたい事が出来る自由な生活を選択して、離婚を受け入れた。

離婚の調停が7月に完了し、8月で失業保険の支給が終了したので、2007年の9月から、本格的な移住活動が始まった。