はじめまして!!

初めてブログを書いて見ようと思います。

初心者ですので、読みにくい文章になったり、文字の間違いが有ったりと、ご迷惑をお掛けすると思いますが、宜しくお願いします。

 

私の日本脱出計画の始まりは、2005年7月に、友人から、フィリピン旅行に誘われたのが、きっかけでした。

当時の私は、毎週末は自宅から車で40分程度の千葉県富津市の海岸に出かけていました。

この海岸は、ウインドサーフィンをする人が多く、私は会社の後輩とディンギーと言う、小型のセーリングボートに乗り遊んでいました。

その海岸にウインドサーフィンに来ていた50歳位の国土交通省の千葉市勤務のオジサンと友達になりました。

 

そのオジサンは、毎年1週間地度の夏休みを取り、フィリピンのボラカイ島に出かけていました。

この島は、当時ウインドサーフィンの世界大会が開催される、島でも有名でした。

その旅行に一緒に行こうと毎週のように誘われ、58歳6か月で、定年が近くになり、フィリピンに初めて上陸しました。

今から14年前のボラカイは、近年閉鎖に追い込まれる様な、汚染物質を捲き散らす中○人や韓○人の旅行者は皆無でした。

多くは、ヨーロッパ人やアメリカ人が優雅に、浜辺で日光浴を楽しみ、木陰でマッサージを受け、のんびり過ごす、静かな所でした。

ベビーパウダーさながらのきめ細かい砂をもち、降り注ぐ陽光に、まるで雪が降り積もった銀世界のように白く輝く極上のビーチでした。

 

この海岸の美しさと、素朴な庶民が生活する、心安らぐ島にいっぺんで魅了されてしまいました。

そこで、60歳の定年を迎えたら、ボラカイに移住しようと一人勝手に決断してしまったのです。

 

1年半後定年を迎える私は、その後一人で同年10月6日から16日滞在し、同年11月2日から7日次男を連れて、ボラカイ島を訪れました。

完全にボラカイ病気に取りつかれ、その後同年12月29日から2006年1月2日、同年2月25日から28日、同年3月18日から23日、

同年4月27日から5月9日と有給休暇と使い続けボラカイ島に通い続けました。

 

ボラカイ島では、水泳、シュノーケル、ヨットに乗り続け、その後スキューバーダイビングにも挑戦し、ライセンス取得して、ボラカイ島に

執り付かれ、仕事も家庭も放りだし、自分の世界にのめり込んでいきました。