気仙沼と志津川 | りりあんとヒゲの優雅で感傷的なワルツ

気仙沼と志津川

仙台のヒゲのうち方面は生活物資も揃いつつあるモヨウ。

ガソリンだけが未だ手に入りにくい状況。ガスももうじきとの事。

ご心配頂いた大勢の皆様にお礼を申し上げます。


地震発生後停電がしばらく続き、情報源はラジオ。

しかし電池ぎれ・・・電気がついたときは本当に嬉しかったと母はいいました。

が、地震の映像を電気復旧後、目の当たりにして

腰がぬけたともいっております。


前にも言ったけど、父は志津川(南三陸町)の出身、母は気仙沼。

ヒゲは6歳まで気仙沼で過ごしその後仙台に移りました。

高校に上がる頃までは夏休みの大半を気仙沼・志津川の親戚のうちで

過ごしました。同年代のいとこ達と海や川を駆け回りました。


地震直後から繰り返し放送される映像を半ば放心状態で見入っておりました。

見知っているまちが津波に流されている映像。

そのときは被災された何万もの人の痛みや悲しみ、絶望を

感じることはできなかった。

ただ漠然とした嫌な感じ。断崖にかかる貧弱なつり橋から下を覗いてしまったかのような恐怖感。


4月になったら仙台・気仙沼・志津川に行ってきます。

今、何をするべきかは勿論ですが、

5年後、10年後何をしているべきなのか考えたいと思います。